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【旅の記憶】OK、セニョリータ

【旅の記憶】は前回までサン・ジミニャーノの話を4回に分けて書いたのであったが、
ポッジボンシで乗り換えた、スピード出し過ぎバスを降りた後の話も少しだけ。

バスを降りて、すでに日の暮れたフィレンツェの中心にあるレプッブリカ(共和国)広場を目指して歩いていると、
突然ものすごい数の夜店風のお土産屋がずらりと並んでいる、人だらけの通りに出た。
まるでアジアの都市に迷い込んだようで大層驚く。
こんなところはフィレンツェに来て一度も通りかかっていない。
一体どこだろうと、頭の中に地図を浮かべて、中央市場沿いの通りかと見当をつける。
ここはまだ来ていなかったエリアだ。
それにしても市場は大きな建物の中に入っているので、周りがこんな屋台通りになっているとは全く知らなかった。
これはめちゃめちゃ楽しそうではないか。でもこれは後回しだ、とりあえず広場だ。
どこへ行きたいかと言うと、広場に面した高級デパート、リナシェンテ、そこのトイレを借りたかったのだ。
(トイレの話題率が高くて申し訳ありません・・・)

観光で入場料を払う場所ならともかく、イタリアのトイレ事情はなかなか厳しく、タダで行ける場所を常に探しているといっても過言ではなかった。
そしてサン・ジミニャーノでは、イタリアへ来て初めて、やむなく有料公衆トイレを利用した。
それ以来、今日行ってない!
リナシェンテのトイレはもちろん無料で綺麗との情報を、私は入手していた。
レプッブリカ広場のメリーゴーランド脇を抜け、
クリスマスの買い物で混み合うリナシェンテのエスカレーターを上がり、
トイレの表示に従うと、数人が並んでいるのが見えた。
個室が2つしかなく、更にその内1つは電気がつかないと皆がぼやいている。
その電気のない方の順番が私に回って来た。
「ノーライト?」
私が問うと、皆口々に喋ってくる。
「そうなのよ」「でも窓があるから何とかなるわ」。
いやいやいや、中を覗くとむちゃくちゃ暗い。何がどうなっているのか見えないレベル。
そちらは後ろの人に譲って、明かりのついたトイレを何とか確保することができた。
贅沢言ってることはわかっているけれど、やはり日本のトイレの保たれ方はすごい、と改めて思うのだった。

その後、ガイドブックに載っていたセルフ形式のレストランへ。
ここならセルフなので頼み過ぎという事態にならないだろうと踏んでのことだ。
(メニューを見て注文したら大量でどうしよう、ということが多いので)
ドゥオーモからすぐの建物の2階というロケーションのそこは、入ってみるとまさに日本のファミレスという造りで、
入った時はお客が一人しかいないので大丈夫か?と思ったが、
徐々に人が増え、家族連れの観光客なども入ってきて一安心。
買い方は学食に似て、自分でトレイを持って並び、好きなものを取っていく、というものだった。
魚介が食べたかったのでタコと野菜のサラダを取ったりしていると、
店員のおじさんが「温かいものもあるよ」といった感じで、鍋を指差して教えてくれた。
「これはポークで、こっちはチキンのクリーム煮ね。」
「じゃあ、チキンください。」
「OK、セニョリータ。」
・・・セ、セニョリータって初めて呼ばれたやん。
イタリア語だっけ?相当若い子を指すんじゃないの?一体幾つに見えてるんだ?
などの考えが頭を飛び交う。
おじさんは別にからかっているふうもなく、温和な感じでチキンのお皿を出してくれた。
(セニョリータは後で調べるとスペイン語もしくはポルトガル語で若い未婚女性を指すよう。
余談だけれど、イタリアでもフランスでも、アジア人は年齢の見当がつきにくいようで、
美術館のチケットなんかを買おうとすると、「学生?」と聞かれたりする。
(時は確実に流れているので、今は言われないと思う・・・)
「No, no!」と叫ぶと、「だって全然わかんないんだもん。」という素振りをされる。
まぁ、私にしてみたら欧米の方って大人びて見えたりするから、お互い様、なのだろうけど、そんなにわからんか?とちょいちょい驚く)

更にオレンジジュースのペットボトルなどを物色していると、
今度はレジまで移動したおじさんが、「あれ、セニョリータはどこ行った?」。
私はショーケースに隠れてしまうサイズだったようだ。
定食屋さんという雰囲気とおじさんの親切な感じがよくて、滞在中、またお世話になるかもな、と思いながら、大量のマッシュルームがかけられたチキンのクリーム煮を食べた。
サン・ジミニャーノ旅の長い一日の終わりの、温かな夕食だった。

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