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【旅の記憶】待ち合わせは空港のマクドナルド(Sydney 2)

シドニーに到着すると、当然最初の関門、入国審査(イミグレーション)が待っている。
以前の【旅の記憶】でも書いたが、私はイミグレーション恐怖症である。

(オーストラリアやヨーロッパのイミグレーションについて書いた以前の記事はこちら ↓ )

語学ができればそんなに恐れることはないのだろうけど、毎度びくびくのイミグレーション。
それをどうにかクリアしたら、今度は前出の送迎車のドライバーと落ち合わなければならない。
落ち合う場所は「空港内のマクド前」という、梅田で友人と会うような気安い決められ方だったので、
ほんとうに大丈夫なのか、と出発前から不安だった。

当時もちろん携帯電話はあったけれど、私はオーストラリアへそれを持っていかなかった。
今みたいに海外で使うのに便利ではなかったし、通信費が幾らになるかと思うと怖くて持っていけなかった。
それに、私はそういうものから自由になりたかったのだと思う。
携帯電話が普及して、待ち合わせは格段に楽になったし、
「今日大学に来てるからお昼一緒に行かない?」と友人に連絡を取ることができるのは、エポックメーキングな出来事であった。
でもその後、社会人になって職場から休みの日ものべつ幕なしに電話がかかるようになると、愉快がってばかりもいられなくなった。
オーストラリアへ飛び出した時は、まさにそういった機器疲れの状況だったのだ。
携帯があった方が安心感が増すのはわかっていたけれど、
悩んだ末、私はそれを置いていった。
だから私は教えてもらっていた場所を頼りに荷物を転がしていくしかなかった。

マクドナルドの前には、私の名前をローマ字で書いた紙を持った男性が待っていた。
ほんとうに待っていた!
私はそちらへ駆け寄り、名を名乗った。彼はにこやかに笑い、私を車まで連れていってくれた。
それはオーストラリアで私を待っていた(仕事だけど)最初の人であった。
私は彼の運転するミニバンに乗り込み、シドニーの北にあるセントラルコーストの町へと向かった。
思えば、この移動が距離と金額の兼ね合いでは一番の贅沢だったのかもしれない。
この後の町の移動は、しばらく「硬い座席の列車で一夜」みたいなことになってゆく。

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