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「なんとなく」で生きてしまう理由

人生は選択の連続です。生きることとは選択することと言っても、過言ではありません。選択によって今がつくられ、今がこれからをつくっていきます。

だからといって、最良の選択って難しいです。というより、無理じゃないですか?大人になったら、毎日ほとんど同じ習慣のもとに生活してます。

それも、なんとなくで選択をしている気がします。なんとなくいつもの仕事をして、なんとなくいつものスーパーに買い物に行き、なんとなくいつも通り動画を見て過ごしています。


でも、決して、今の生活に満足しているわけではありません。というより、もっと裕福になりたいし、やりたいことにもっと時間を使いたい。

なんとなくで選択しているにもかかわらず、不満はたっぷりあるんです。それも日本の景気が悪いからだ!と思いたくなります。


これに気づいたので、「なんとなくで生きてしまう」理由を深く考えてみました。


選択することが怖い

自分で物事を決められない人っていますよね。それは、自分で選択することが怖いからです。選択が怖いと感じる原因は、日本の社会文化や教育が影響している可能性があります。

社会的プレッシャー

日本の社会は集団主義が強く、個人が社会の期待に応えることが重要視されます。そのため、選択によって他人に迷惑をかけることを避けようとする傾向があります。

完璧主義

日本の教育や職場環境では、ミスを減らすことや結果にこだわることが重要視されています。そのため、失敗することへの恐れが強い人が多くいます。

情報過多

現代社会において、日本も例外なく情報過多の状況にあります。多くの選択肢があると、どれが最善の選択肢かを見極めるのが難しくなり、選択するのが怖くなりがちです。

変化への抵抗

日本の文化には伝統を重んじる面があり、変化に対して慎重な姿勢を取ることが多いです。なので、現状から変わることへの恐怖心があるかもしれません。

補足として、個人の特性や環境によっても違いがあるため、日本全体が選択を怖がっているというわけではありません。

日本の社会文化や教育が影響を与えている可能性があります。


選択することが怖い理由

選択することが怖いと感じる人は、次のような理由が考えられます。

失敗への恐怖

選択によって失敗することへの不安が大きく、決断に踏み切れないことがあります。失敗が個人的な自信を損なったり、他者からの評価に影響するのを避けたいと感じているかもしれません。

責任の重さ

選択がもたらす結果に対する責任を取ることに不安を感じている場合、選択すること自体が重荷に感じられることがあります。

完璧主義

常に最良の選択をしたいという思いが強く、完璧な選択が見つからない場合には、どれを選んでも後悔するかもしれないと感じます。

ちなみに、日本人は完璧主義の人がとても多いです。

情報過多

多くの情報があると、どの情報を基に決断すべきか分からなくなり、結論を出せないことがあります。

過去のトラウマ

過去に選択した結果が思わしくなかった場合、同じような選択を避けようとして、新たな選択に対して慎重になりすぎることがあります。

選択することの怖さを和らげるためには、失敗も含めて経験から学ぶこと、完璧を求めすぎないこと、信頼できる人に相談することなどが有効です。

スマホが普及してから「情報の過多」が問題視されています。それも、考える力を奪っているという意見が多くあります。


情報の過多が考える力を奪う理由

情報の過多が考える力を奪う理由として、以下の点が考えられます。

選択の難しさ

膨大な情報の中から必要な情報を選び出すのが難しく、混乱してしまうことがあります。このため、効果的に情報を選別する力が必要ですが、それができないとただ流されるだけになってしまいます。

浅い理解

多くの情報に触れると、それぞれを深く考える時間が取れず、浅い理解にとどまる可能性があります。

過負荷

あまりにも多くの情報が一度に頭に入ってくると、過負荷状態になり、集中して考える余裕を失うこともあります。

焦点の分散

多様な情報に触れることで注意が分散され、特定の問題に集中するのが難しくなります。


これらの理由により、情報過多が考える力を弱める要因になり得ます。ただし、情報の取捨選択のスキルを磨き、目的に応じた情報に集中できれば、考える力の向上にもつながります。


「なんとなく」で生きる人が増える理由


「なんとなく」で生きている人が増えている理由として、以下のような要素が考えられます。

情報の過多

現代社会ではインターネットやSNSを通じて情報が大量に入ってきますが、その情報が多すぎて取捨選択が難しく、何を信じて良いのか判断が難しいことがあります。

選択肢の多さ

選択肢が多すぎると、選ぶのが難しくなり、決断がしにくくなります。これが、「なんとなく」生きることを促進する要因になるかもしれません。

目的の曖昧さ

個人の価値観や目標が曖昧な場合、明確な方向性が見えず、ただ日々を過ごすだけになることがあります。

社会的なプレッシャー

現代社会では、自分自身の意思とは関係なく、他人の期待や社会の圧力に従わざるを得ない場面が多く、「自分の人生を生きている」という感覚を失いやすくなっています。

安心への渇望

安定した生活や将来への安心感を求めるあまり、リスクを避け、「なんとなく」今の状況に満足してしまうこともあります。

これらの理由が複雑に絡み合い、「なんとなく」で生きている人が増えているのかもしれません。


情報の過多を招いたスマホ

スマホが普及してから入ってくる情報が莫大に増加しました。そのせいか、ある論文で、2013年から大学生が本を買う機会が減り、勉強に費やす時間も急激に減ってきているとありました。

確かにそのくらい前から、学歴なんて関係なくなるとか、将来なくなる仕事などの話題を聞くようになった気がします。

スマホの影響で、ネガティブな情報を読む機会が増えたように感じます。学生からしたら、頑張って勉強しようといった意欲が削れるのかもしれませんね。

「なんとなく」といった選択をしてしまうのは、情報の過多が大きな原因としてあげられています。

もしかすると、現代人はスマホを手にする対価として、大切な「自分で考えて選択する力」を手放してしまったのかもしれません。

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