【綿町ダイアリー】#457 「僕と商売」僕のアイデンティティ 全6回の3
前回からの続き
大学生になった僕は神戸で生活を始める。
大学に行かない日は、
摂津本山駅前にお気に入りのカフェバーを見つけ、
いつもそこで時間を過ごすようになった。
しばらくして、そのバーの女性オーナーが
「りょう君、このカフェバーやってみない?」
と、声をかけてくれた。
どうせやる事ないし、
僕はふたつ返事でそれを引き受けた。
( 大学に行くのはテストの日くらいだったから )
それから3年間、
昼の12時にお店を開け、夜の12時にお店を閉める
という生活をすることになる。
昼はカフェで珈琲やスイーツを出し、
夕方からバー営業というお店だった。
ドリップで珈琲を淹れ始めたのはこの頃だ。
街柄というか、( 甲南大学のお膝もと )
昼間は女子大生のお客様が圧倒的に多く、
夕方からは仕事帰りのサラリーマン、
そして夜になるとカップルという感じだった。
自分で言うのもなんだけど
そこそこ流行ってたんじゃないかな。
ビリヤード台を2台置いていたから
独りで来店するサラリーマンの相手をするのも
僕の仕事のひとつだった。
いつも店の前には
BMW、アウディ、メルセデスが縦列していた。
世はバブル絶頂期である。
僕はバーテンダーを天職だと思った。
そんな時である。
オーナーママが三宮にバーをだす事になり、
その新規オープン予定のバーを経営しないか?と、
僕にお誘いがあったのだ。
もちろんふたつ返事でOKした。
僕は大学を卒業したら
三宮の夜の街でバーテンとして働く決意をする。
それは僕にとって薔薇色の未来だった。
しかし両親にとっては、
あってはならない未来であったようで・・・
結局、周囲の猛反対にあい
僕は姫路に戻って企業に就職することになる。
・・・続く。
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