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【文脈】(コンテクスト)という【捉え方】(第1回)

いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。

私、【文脈】(コンテクスト)という【捉え方】に興味を惹かれますクチです。

詳細は以下に譲りますが、【創作】を巡る【環境】を俯瞰するにも、あるいは【作品】の中で事実関係を捉えるにも、なかなかに便利で展望の開ける【概念】と、私は捉えております。
 というわけでこの【文脈】(コンテクスト)について【考察】を巡らせてみます。よろしくお付き合いのほどを。

広辞苑によれば、【文脈】とは『文中での語の意味の続きぐあい。文章の中での文と文の続きぐあい。比喩的に、筋道や背景などの意味にも使う』といいます。

私がここで注目する【文脈】は、主として『比喩的に、筋道や背景などの意味』に相当するものです。
 【我流】で定義を試みるなら、【文脈】とは『既存の【事実関係】と、そこから続いていく【事実関係】から読み取れる、(文化的・技術的な)【意味合い】や【潮流】』ということになりますでしょうか。一言で【表現】を試みるなら、【文脈】とは『意味を持つ【潮流】』ということになります。ここで示す【潮流】とは『【作品】内の流れ』もしかり、『【作者】としての足跡』もしかり、ジャンルを含めた『特定の集団内に(複数)存在する、文化的な【意味合い】を持つ流れ』もまたしかり、ということになりますね。

そも【作品】があるとして、それを巡る【環境】は固定的ではありません。例えばある方向性からの【評価】が成され、『【観客】層の嗜好や流行に与えた【影響】』というものを【考察】され、そこから既存の【価値観】やムーヴメントに対する【意味合い】を読解され、それがまた別方向からの【評価】に繋がる――ということも起こり得ます。つまりは『【作品】が【観客】層の共有する【認識】に変化をもたらしていく、あるいはそういったムーヴメントの一部として機能する』ということが起こり得るわけです。
 この時、【作品】は単体で【評価】対象になるのみならず、『【文脈】の一部としての位置付けや【意味合い】』という面でも【評価】対象になっていくことになります。

この【文脈】、【作者】として【我が道】を行くにしても、無縁というわけにはいきません。あるいは【流行】を意識するなら、なおのこと無視できない【概念】ですね。
 【我が道】を行くにしても『【作者】個人の【作品】歴としての【文脈】』は存在しますし、一方で【流行】を意識するなら、それこそ『【流行】とは巨大な【文脈】の複合体』という【事実】が厳然として存在します。詰まるところ『【作者】あるいは【観客】として【意識】するとしないとに関わらず、【文脈】は身近に存在している』わけです。研究してみて損になることはないでしょう。

ではこの【文脈】という【捉え方】、どこでお眼にかかるかと申せば。
 例えばサブカルチュア誌、例えば映画誌、さらにはアニメ誌でも模型誌でも結構です。何なら昨今ではインターネットに著名な【作者】や関係者のインタヴュー記事であるとか、【作品】にまつわる【考察】記事であるとかが掲載されています。こういった記事においては『特定の集団内の、文化的【潮流】』を【文脈】として紐解く試みが頻繁になされておりますね。私個人としては、大変に興味深く拝見しております。
 【作者】や製作者サイドから【作品】に込めた各種の【意味合い】もしかり、その製作過程で踏まえた【文脈】とそこに対する【提案】もしかりですが、そこには『その時々に存在する数々の【文脈】や【潮流】をどう読み取り、【作品】やそこに込めた【要素】あるいは【技法】などをどう位置付け、どのような【提案】あるいは【メッセージ】として発信したか』もまた、よく込められているものです。

例えばそれまでの【文脈】に対して、(不満や思い付きなど)何を目論んだか。
 例えばそれ以後の【文脈】に対して、(展望や提唱など)何を提示したかったか。

気付きがあり、狙いがあり、あるいは偶然の一致があり、後の【作品】や【観客】に与えた影響があり――と。つまりは【観客】の心理に働きかける【創作物】である以上、【影響】を与えられたり与えたりは必然ですらあるわけです。もちろん歯牙にもかけられない場合だってあるにせよ。

ですが【文脈】は一つ二つに限りません。これを【潮流】になぞらえたのは、大海に生まれる潮の流れ、位置や深度が変われば方向も強さもまるで異なる、という【潮流】のその姿を思い浮かべてのことです。【流れ】は【流れ】でも、『河の【流れ】』とは全く様相が異なるわけです。何せ河は両側を岸で縛られ、底もさほどでないわけですから。そこに交錯の意味合いはあまり絡みません。
 【潮流】の、『種々雑多な【流れ】が立体的に交錯し、数多の接点や近接点を持つその集合体』としての姿は、【文脈】のイメージを伝えるに好適な比喩――と私は考えるのですね。

要素や技法などといった大雑把な括りに限らず、大小問わず込めた【意味付け】、大小のテーマやそれに対する答え、もちろん要素や技法の一つ一つに至るまで。これら全てがそれぞれに、様々な【文脈】に接し、あるいは乗って、その上で賛否なり【提案】なりを示しているわけです。

さて、今回は一旦ここまで。

まずは【文脈】なるものの大枠、その存在感について触れてみました。

実のところ、これは【創作】に限らない話です。『モノを作ること』に関わっていて、そこに『【観客】や【顧客】を始めとした受け手』がいる限り、そしてその営みが過去から連綿と続いている限り、そこには【文脈】が存在することになるわけです。存在しなければ、栄枯盛衰のみならず
自己の成長の軌跡までもが『なかったこと』になるわけで、そう捉えてみると【文脈】は【創作】とは切っても切り離せない存在――とも申せましょう。

次回はこの【文脈】というものに、私が強く関心を示す理由をお伝えして参りましょう。【観客】としても【作者】としても、得られるものは小さくない――と、私は【認識】しております。

よろしければまたお付き合い下さいませ。

それでは引き続き、よろしくお願いいたします。

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