『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』辻村深月
9月に富士山に登る。
母と、私と、私の友人三人で。
友人と二人でおぼんdeごはんで食事をしている時に
何気なく、
「私ずっと富士山に登ってみたくて、学生の内にやりたいから今度お母さんと登るんだ〜」
と話した。
「いいな〜」とか、「大変そう」といった類いの相槌が返ってくると予想していたら、
友人の返答は「私も行きたい!」だった。
「わ、私も行きたい????」とハテナマークでいっぱいになった。
私だけでなく私の母もいて気を遣うかもしれないのに、そしてそこら辺にハイキングに行くのではなく富士山に登るというのに、即答で自分も行きたいと言ってきた友人の無邪気さにびっくりした。
そんなこんなあって、
母と、私と、私の友人三人で富士登山をすることになった。
山小屋も予約して、今は登山グッズを揃えたり当日の日程を考えたりしている。
楽しみ〜〜( ◠‿◠ )
親子関係の健全さや親密さって、
どこまでが「仲良い」の括りに入って、どこからが「依存」「過剰」もしくは「放棄」に分類されるのだろうか。
女同士の関係性や男女の恋愛関係は、
何歳になっても難しいし、正解がない。
全部を大切に持っていたいのに、両腕に抱えられるものには限りがある。
そんなことを考えさせられた、
辻村深月さんの『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』
読了して、私が一番わかると感じた場面が、
同僚の及川亜理紗がチエミに対して口にした
という言葉だった。
望月チエミは、自分の人生に対して責任観念が薄い(と感じた)。
一番驚いたのは、チエミが自分が短大に進学して派遣社員として6年契約更新を続けている現状に関して、
「どうして高校の先生は、将来を考えたら大学に行った方が有利になるとか、正社員になるための進路指導をきちんとしてくれなかったのか。先生たちは無責任だった。」
と口にするところ。
そんなの、義務教育を卒業したら、手に入れられる情報や知識の質や量も、それによって得られる選択肢の豊富さも、自分次第じゃないか、と私は思う。
だけど、チエミはそれすらも他責にする。
高校の先生が、きちんと教えてくれなかったから。
みんなも、そうしているから。
お母さんが、そう言ったから。
両親の言うことをよく聞き、心配かけまいとする。
お母さんに、何でも話す。
入社6年目になってもお母さんが会社に送りに来て、ブラウスの襟元を直してくれる。
帰りが遅くなったらお父さんが迎えに来て、お互い車で来ているから二台で並んで帰る。
チエミの親子は、「仲睦まじい」のか。「共依存」なのか。
彼女がいなくなった日、家族の中で何があったのか。
家族関係以外にも、
絶妙な女の交友関係が描かれている。
結婚式に呼んだ、呼ばれなかった。
側から見たら初めから破綻しているような恋愛に足を突っ込んでいることを伝えるのか否か。
職業や、年収。
派手なタイプと、地味なタイプ。
合コンでの立ち振る舞い。
彼からもらった指輪の値段。
結婚して、子どもを産むこと。
その全てが、女同士の交友関係に
雨の日の靴下のように、じわじわと侵食してくる。
神宮寺みずほと望月チエミという、二人の幼馴染の物語。
今日お母さんと二人で好日山荘に行き、
いろいろ履いてみた末に、登山靴を購入した。
私はSalomonのトレッキングシューズ。
9月の富士登山楽しみ😊
登ったことある方いらっしゃったら、是非ご教授ください〜〜
(ちなみに富士宮ルートを登ります)
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