ほとんど最後の欲望

【『ほとんど最後の欲望』〜日々の切れ端(四)〜】

 朝目覚めて、ベッドの中でうぃーって背伸びをしたら足がつって、そのまま起き上がる事も出来ずにじたばたと悶絶する事がある。
 そしてそのまま朝から何も食べずに夕食の時間になって、仕事場近くの中華料理屋に入り、お腹が空いたテンションそのままに頼んだ大盛りのチャーハンの、おそらく大盛りにされた分の米が喉を通らずに、さらに添えられたスープに全く手をつける事も出来ずにレジへ向かってしまったりする。

 どうやら自宅、職場、ご飯屋というトライアングルだけの毎日をあまりにも当たり前に過ごして来たせいで、いつの間にか流れていく時間に自分の気持ちだけが20代くらいのまま置き去りにされているらしい。
 この間、弊社社長よりiphoneに万歩計機能というものがあるらしいということを教えられ、試しに確認したのだが、僕の一日平均の歩行数が2,500歩ということを知って愕然とした。お医者さんが勧める理想の1/4しかないじゃないか。
 仕事柄デスクワークが中心とはいえ、これは流石にひどい。
 そりゃ、筋肉的にもカッチカチでいてやる義理もないからどっかへ行ってしまうよね、すまなかった筋肉。
 そうかと言って今からジムに通ってマッチョになったところでノートPCのキーボードへの打撃力が上がるぐらいで、さして直接良いことがあるようにも思えない。そもそもが、打ち合わせでもない限り、一日中事務所の中でカチカチパチパチやっている仕事なのだから、今の状態は身体が状況に適用した結果と言えば結果なのだ。

 今は亡き母方の祖父が90歳を過ぎた頃、握り寿司の出前を取って昼食を共にした時に、エビの握りひとつで「お腹いっぱい」と言ってお茶をすすっている姿を見てショックを受けたのだが、祖父の身体からすればそれで充分だったのだろう。
 エビの握り一つだけで充分にもつ身体に、僕もいつかはなるのだろうか。そして、握り寿司一個くらいで満足する身体になった時には、何を食べて生きていたいと思うのだろうか。

 一日の食費を一食に凝縮出来るのなら、どうせだったらA5ランクの肉とかの高級食材を食べたいと思うのだろうか。でもそれだとどうしても米が欲しくなりそうな気がする。大さじ一すくい分くらいの肉で空腹では無くなったが、米を食べることが出来ずにモヤモヤした気持ちを抱えたまま一日を過ごすのも精神衛生上よろしくないような気がする。
 だとするとあれか、焼き海苔代わりに金箔でご飯を巻いて食べるとかになるのだろうか。超贅沢。もしくは、いっそのこと20代の若者数人を金で雇って自分の代わりにトンカツやら天ぷらやら脂っこいものばかりを食わせて、その姿をニヤニヤしながら眺めるとか。
 
 うーん、生きていくには欲が大事だとか言うけれど、年寄りが欲だけを維持しようとするとただ醜くなるような気がしてきた。
 それに、そもそもが僕みたいに貧しい舌が少しくらいお金を使えるようになったところで、急に高級な舌になる訳でもないのだ。
 寝たきりで点滴生活、みたいな日々は嫌だけど、せめて点滴にイチゴ味とかメロン味とかが付いていて直飲みさせてくれるのであれば、それはそれで充分な気がしてきた。夏はブルーハワイ味とか。そして学生時代に夏祭りでデートしたこととか思い出しながら涙を流すの。うわー、キモいキモいキモい。 



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