死ぬということについて

【『どうせいつかは死ぬのなら』〜日々の切れ端(三)〜】

 先日、母から検査入院の経過報告の電話をもらい、その話の中で今年70歳の母ですら町内会では若手の部類に入ると聞いて、僕は不謹慎ながら笑ってしまった。
 そして今までは敬老の日には会費を出し合って、60歳以上のお年寄りのいる家にプレゼントを送っていたそうなのだが、ほぼすべての家庭に送ることになってしまうので、今年から学童を持つ家庭に粗品を送るという形に切り替わったらしい。
 もはや敬老の日とは言えないけど、お祝い事としては確かにそちらの方がいいようにも思う。大人には財力ってものがあるんだから、年に一度くらいは存分に子供達に敬ってもらうがいいのさ。
 今やどんな爺さんや婆さんも大抵は携帯電話を持っているし、インターネットも普及しているしで、町内会でおなじみの『回覧板』なんていう存在自体もそのうち無くなってしまうんだろうね。
 
 それにしても僕自身、一日が経つ時間がどんどん早くなって、一年という時間すら本当にあっという間に感じられるようになった。それと同時にこうやって母とのたわいのない話しを、あとどれくらい出来るのだろうかと考えることも増えた。

 母は昔から思いつきで行動する事が多い人なので、

 「あのな、お母さんが死んだら遺灰をエーゲ海にまいて欲しいねん」

 なんて突飛なことをいきなり言い出さないか、少し心配している。
 まぁ仮にそうだとしても、わかったよと微笑みながら近場の琵琶湖か鴨川に撒きますけどね。ははっ、でもさすがにばれるか。エーゲ海にはフナはいないもんね。

 まだまだあんたは早いと言われるが、いつか僕にも死ぬ日が来たのなら、苦しまずにポックリと逝きたいと思う。
 僕が20代半ばの時、当時お世話になっていたアニメーション制作会社の会社のトイレで卒倒したことがある。
 用を足して立ち上がった瞬間に、急に目の前が真っ暗になってそのままスーッと身体が崩れ落ちた。その時は「このまま便器で頭を打ってそれが死因と思われるのはかっこ悪いな」と思うのが精一杯で、踏ん張ることも何も出来ずにそのまま意識を失った。
 気がついたらトイレの床に仰向けに倒れたまま、トイレの天井の明かりをぼんやりと見つめている自分がいた。気を失ったのは後で確認したらものの2、3分だったのだけれど、あれは今思い返してみても不思議な光景だった。
 その時の気分も、トイレの床に寝そべって汚いとかいう感覚は全くなくて、「あぁ、まだ生きてるんだ」というしみじみとした感慨に近いものだった。

 よく臨死体験だ何だといった談話で、お花畑で今は亡き祖父が手を振っていただの、天井あたりに浮かんだ自分がベットで寝ている自分を見つめていたなどの話しを聞いたりもしたけれど、自分にはそんなことは全くなかった。『フランダースの犬』が大好きなのに、天使の一人も降りてきてくれないしで、よっぽど自分の信仰心は貧しいのだろうかと苦笑いしたりした。

 それから何年かして、アメリカで手話を覚えたというメスのゴリラが、飼育者の
「ゴリラは死ぬとどこにいくの?」という質問に、
「苦労のない穴に、さようなら」 
 と答えたらしいということを知り、妙に納得をしてしまった。
 宗教者の説くあの世より、僕の体感としてはゴリラの死生観の方が近い。

 ただ、体感を抜きにしても、心のどこかであの世を信じてみたいと思う気持ちも僕にはある。
 それは、悩みを相談したいと思ったり、教えを請いたいと思う人たちがあまりにもあちらの世界に増えてしまったというのもあるのかもしれない。
 心がどうも上に上に引っ張られるような気がしてならないので、最近はもうあまり深く考えないようにはしているけれど。

 まぁ、うちの父親も健康には人一倍気をつかっていたくせに、僕が高校一年生の時に早々にあの世に逝ってしまったし、僕は僕で生来の無鉄砲さと不注意さとで、いつうっかり死んでしまうとも限らないので、この際自分が死んだらどうして欲しいかをついでに考えてみた。
 あぁ、どうせならあれかな、自分の遺体を焼いてもらう前には全身にお好み焼きソースを塗ってから焼いて欲しいかな。
 
 「あいつ、めっちゃええ匂いしながら焼かれてるやんけ」
 
 とか参列者みんなに笑わってもらえるのが嬉しいかな。
 斎場の煙突から出るソースの焼ける匂いに、道行く人も足を止めたりとか、野良犬や野良猫やカラスまで寄って来たりして。
 安物のブッダっぽいぽいけど、少しは賑やかなお見送りにはなるかな。
 真面目に宗教活動をしている人からはぶん殴られそうだけれど、そんな逝き方もありじゃないかなと思う。死んじゃった後は自分じゃ確かめようがないから好き勝手言えるだけなんだけど。
 そして、遺灰はエーゲ海に撒いてもらうのだ。



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