アヒル口の

『アヒル口の酒の妖精』〜愛すべき人々(三)〜

 自宅近くの寿司屋のカウンターの隅に座っていたアヒル口の酒の妖精は、随分と久しぶりに出逢ってもやはり、相変わらずに美しい佇まいだった。
 挨拶もそこそこに、空けて待ってくれていた右隣の椅子に座った瞬間、店内の男性客たちのまるで、ジロリという音が一斉に聞こえてくるような視線に思わずたじろいでしまった。
 むべなるかな、女性客のひとり飲みの姿は美しい。
 その立ち居振る舞いで、性格や男の趣味、生い立ちや、腕の中で聞こえる
ため息の深さまで、あらぬ幻想をあれこれと抱いてしまうのが男というもの
だろうと思う。
 ちらっ、ちらっと、時たまこちらと目が合う男性客を見るたびに、せめてイケメンならば諦めも付いただろうに、俺の淡い想像の時間を返せ、という
声が聞こえてくるようで、なんだか本来は自分こそが遠巻きに眺める側なのではないかと錯覚してしまう。

 「仕事は相変わらず忙しい?」
 「ちゃんと休みは取れてる?」
 すでに少し口のついていたビールグラスと軽く乾杯のあと、ふたりして同じ質問を交互に繰り返しては、時々訪れる沈黙の行間を埋めるように、ぽつりぽつりと言葉を交わす。
 初めて出逢った深夜のバーの時から、もう何年も経つのだけれど、この間合いはさほど変わらない。
 はじめの頃は会話の合間に入り込む沈黙の時間がとても居心地悪く、飲めない酒を何杯も一気飲みしては、酩酊気味のある意味、会話なぞ成り立たなくても仕方がない状況をあえて自分で作っては、ひとつの空間に居るという満足感だけを申し訳ない程度に拝借していた。
 そのうちに、会話が盛り上がっていないと周りに思われる事への羞恥心が沈黙に対しての焦りを生んでいたのだということに気づいてからは、随分と人付き合いというものに対しての幅が拡がったように思えた。
 会話の間合いなんて千差万別で、テニスのような激しい行き交いが楽しい人もいれば、ビルの屋上でOLがあげる柔らかな山なりのバレーボールのトスのようなものも、ひとつの会話の間合いなのだ。
 すべては、自分の見栄と虚栄心の問題だったのだ。
 会話の合間に、もそもそとつついた刺身の大皿を片しながら、
 「刺身、久しぶりでほんとに美味しかった」
 とつぶやく僕を不思議に思ったのか、
 「普段のご飯はどうしているの?」
 というアヒル口の質問に、僕は少し考えながら、
 「自分で作ってますよ。冷凍チャーハンに、冷凍うどんに、冷凍グラタン、、、」
 と言いながら、すべてが凍った何かである事に急に気恥ずかしくなり、
 「あ、でもゴマ油とか、ネギとか、卵とか足して、、、」
 と取り繕う僕に、
 「それは、料理じゃなくって薬味っていうんだよ」
 と、アヒル口は呆れたように天を仰いだ。
 それからチクチク始まった、ひと回り近く年下のはずの人間の小言が妙に
心地よく思えた。
 少し前までは年上の女性の話しでしかまともに取り合うことすら出来なかった自分からすれば、それは自分が成長した証しだろうか。ただ歳を取るとみんなそうなるものなのだろうか。
 高校一年の時に父親を亡くし、母の魂も引っ張られたように、その日から母は抜け殻のように塞ぎ込んでしまった。
 高校の三年間、毎朝リビングのテーブルの上にぽつんと置かれた500円玉が、母との会話だった。
 今までに本気で好きになった女性はすべて自分より歳上だった理由が今ならなんとなく分かる。
 なんだ、きみはマザコンだったのね。
 草木も眠るなんとやら。酔った勢いでこの際いっそ自分の久しぶりを
まとめて片付けようと、これまた久方ぶりのいきつけの西麻布のカラオケバーに誘い、アヒル口の酒の妖精の、その容姿に違わぬ美声を披露してもらう。
 昔から酒に愛されている人の歌は何かしら魅力を感じる。
 ああ、こうやって昔から人というものは生きてきたのだろうか、などと無駄にスケールが大きい感傷に浸りながら、我に返ると自宅のベットの上だった。
 カーテンの隙間から差し込んだ朝の光で携帯に入った昨夜のお礼のメッセージを確認しながら、まだ少し頭に重たいものを感じ、もう一眠りすることにした。
 まどろみながら、昨日の夜の出来事はすべて夢の中での出来事だったのではないかと思い、また夢でも構わないなどと、ぐるぐる同じ考えの行ったり来たりを繰り返す。
 付き合うだ、結婚だ、などと願うことが無粋に思える人がいる。
 ただ佇まいが美しければそれでいいと思える人がいる。
 いつかはどちらともなく崩れるであろう関係であればこそ、いっそその
存在がフィクションであると告白されることを願う自分がいる。
 そして、また夢の中ででも逢えればいいななどと思いながら、枕に頭を
深く沈め、仕事の電話がいましばらくは鳴らないことを、そっと祈る。


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