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【個人開発】「稼げるから」ではなく「楽しいから」やる

こんにちは、nakanishy です。フリーランスで個人開発をしていて、現在は Colorbase を作っています。

2020年に会社を離れてフリーランスになりました。フリーランスと言っても、受託開発はせず、自分のアプリ・サービスをつくっています。「給料」という安定した収入のない中、どういう心境で開発しているのか、不安はないのか、モチベーションはどう維持しているか、などを記します。

「個人開発だけで生きたい」という願望

14歳から開発に興味を持ち始めた私は、次第にその楽しさにハマっていった。「自分が作ったサービスを誰かが使ってくれた」というだけで、純粋に嬉しかった。そんな私が「個人開発だけで食っていきたい」という願望を持つのは自然なことだった。

誰にも干渉されず、好きなことだけをしたい」と思って会社を離れた。とてもワクワクすることだった。お金に対する不安より、自由に何かをつくれる喜びがあった。

楽しくない

どんなサービスをつくるか、ワクワクしながらアイデアを練った。

しかし、つくり始める段になってなぜか手が動かない。楽しくない。

なぜ?

誰かから指示されたわけでもない。自由に好きなものを作っているはずなのに、なぜ楽しくない?なぜモチベーションがわかない?願望だったでしょ?

吹っ切れ

何ヶ月も成果物を出せずにいることに焦りを感じた私は、あるとき吹っ切れた。「お金とかユーザー数とかどうでもいいから、自分が欲しい物を作って出そう」

すると、めちゃくちゃ楽しくなった。寝食を忘れるくらい、毎日がワクワクで溢れた。良いアイデアが湧いて、開発スピードもぐんと上がった。学生の頃のように、純粋につくることが楽しくなった。

制限していたもの

自分に制限をかけていたのは「稼げるサービスを作らなければ」「沢山の人に使われるサービスを作らなければ」という思考だと気がついた。

「稼げるサービスを作らないと生活がやばい」「作るのにも時間がかかるし一発で当てたい」「でも他にも似たものいっぱいあるし」「会社には勝てないし」という無意識の思考で頭が埋まり、会社を離れたときに感じた「自由につくれる喜び」がなくなっていたのだと。

その制限を外すと、純粋につくる過程を楽しむことができた。子供が何も考えず泥団子を夢中で作るみたいに。

楽しかったら役目はおしまい

重要な気付きは「本当の価値は成果物を出すことではなくプロセス自体を楽しむこと」ということ。

私の思う人生の本質は「今この瞬間、幸せでいること」

お金を得るから幸せなのではない。ユーザーがたくさんいるから幸せなのではない。どんな状況、条件であれ「今この瞬間、私が幸福や楽しさを感じるかどうか」が人生における最も大切なことであると思い出した。

そういう点でいうと、「お金にならなくても、使われなくても、楽しかったらそれでオッケー」ということになる。

そう考えると気が楽になった。「あ〜楽しかった」と満足して一度完結したものが、世の役に立てばさらに嬉しい。お金が得られればさらに嬉しい。でも結果は重要ではない。楽しんだ時点で役目は終わっているから。という思考になった。

つくったもの

そうしてつくったサービスが Colorbase 。「色のサービスなんて世の中いっぱいあるやん」という「制限」を取っ払って「自分が欲しい物」をただ楽しくつくった。

ありがたいことに Twitter で8万いいねを間接的に頂き、現在も1日1000UUほど使ってくれている。UI デザイナー向けに作ったけど、反響が大きかったのは絵描きのコミュニティの人たちだった。これは全然予想してなくて、「制限」の中にいたら気づけなかったこと。

不安はないか

Colorbase には広告をつけていない(かわりに「サポート」頂いている)。だから、今も収入はほとんどないけど、楽しいから続いている。

お金が得られないことの不安や焦りはいつもある。でも、そちらに囚われると人生の本質から外れてしまう。周りが何を言おうが、何を思おうが、今を楽しくワクワクすることをしていれば、いつか何かになると信じている。

幸いにも恵まれた環境にいるので、自分の気持ち以外に切羽詰まらせるものはない。その環境には感謝しつつ、「自分がワクワクするものには、世界中の誰かも同じように思ってくれる」と信じて、これからも楽しく続けたい。

さいごに

もし個人開発者としての活動を応援したいという方がいらっしゃいましたら、Buy Me a Coffee からサポートいただけると大変うれしいです。

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