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元号の存在

令和の時代が始まった。
元号と西暦の併用については、賛否両論があるらしい。銀行の一部には、通帳の日付記載を元号から西暦に変えたところもある。西暦であれば、元号が変わってもシステムを変えなくて良いからだろう。

私は仕事では西暦を使うことが多い。元号を使う時は、病院や役所などの書類を書くときである。生年月日は覚えているが、ときおり西暦と元号を一致させるのに、長々と計算することがあり、面倒に思うことも多々ある。
元号など止めて西暦だけにすればいいという意見があって、おそらくその方が合理的なのだろう。

ライターの石井ゆかりさんという人が、「世」ということについて書いていた。
「世」という言葉は、「世界」「この世」のように「場所」を意味する一方で、「世代」「世紀」のように「時間」を意味する言葉でもあるという。そして、平成、昭和や大正、明治といった過去の「時代」を、「一つの世界・一つの場所」のようにイメージしているのではないか、と。

このイメージが、とても素敵だ。時間と場所を表す世というもの。
平成はあらかじめ終わりが知らされていた。人々が「平成最後の」といい、平成をふり返る番組があったのは、「世」というイメージがあったからに違いない。

世界的に見ると、古くは中国の皇帝や韓国の王の世代を表す年号があった。今でも元号を使っているのは日本だけだと聞く。元号の使用が続いている理由が、何かあるのだろうか。「世」という感覚が、ある時代の時間と場所に思いを寄せるものであれば、元号も悪くないと思っている。

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