見出し画像

上野千鶴子さんの優しさを

東京大学の入学式で、社会学者であり東大名誉教授の上野千鶴子さんが祝辞を述べた。この祝辞が話題となり、いろいろな人が取り上げている。私は、上野さんの祝辞に学生への優しさを感じた。

祝辞では、女子学生の不利を述べる部分がある。女子学生の合格率と進学率、東大生であることの不利、そして社会での性差別などを、数字を交えて話している。今まで過ごしてきた社会が、いかに守られていて、恵まれていたのか。それを指摘している。

私も女子なので、女子の不利は身をもって知っている。しかし、この祝辞の内容は、男子学生にも当てはまる部分がたくさんある。
東大内格差があると聞く。都会か地方の出身によって、それまでに体験してきたものが違い、入学した後に愕然とする学生がいるらしい。また今までは、学校内でトップの成績を収めてきたものの、東大に入学してもっと優秀な人に接し、自分に自信をなくす人がいるという。これは、男女に限らず起こることだ。

「あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです」と、上野千鶴子さんは述べた。そして、これからは頑張っても報われない社会であるとも。

そして、このように続いていく。
「あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです」
東大に合格したのは、努力ではなく環境だ。一見、そのようにも取れる一文だが、真意は違うと思う。

それは次の一文に表れている。
「世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます」
努力しても難しいこと、努力だけでは叶わないこともある。それは個人の責任ではない。東大の内部でも、それは起こるだろうと言っているように思える。

そして、「強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください」
社会に歴然とある差別や理不尽に対し、自分だけの責任ではないこと、弱きものがいること、弱いと認めることが悪いことではないことを伝えている。

強いだけが強さではない。弱いものを見落さないこと、弱いことを認めること。
これだけで、今までとは違う環境に身を置く学生の指針となっただろう。弱くてもいいと、子どもたちに言える親がどのくらいいるだろうか。上野千鶴子さんの優しさがほしい。

上野千鶴子さんの祝辞全文を掲載したリンクは
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190412-00010000-bfj-soci&p=2

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?