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最終回 もはや、あきらめ。日本の司法。

冤罪の発生も、日本の司法の未熟さも、結局は日本人に深く根差した気質に起因するから、それを是正するのは、たやすいことではない。

もう、あきらめるしかないのか。アフガニスタンに民主主義が根付かないように、日本に推定無罪を浸透させることはもう不可能なような気がする。

事件というのは、我々の知らないところで、無数に起きている。日本は不審死の解剖率が異常に低いので、多く無念の被害者が人知れず姿を消している。しかし、日本人というのは、見えない問題に想像を働かせる想像力もなく、見える事件だけを見てギャーギャー騒ぐ。

事件が起きれば、被害者の無念を晴らすため、絶対に逮捕しろ、逮捕したら、絶対に起訴しろ。起訴したら、絶対に有罪にしろ。推定無罪などどうでもいい。

この圧力が結局は冤罪を生む。そして冤罪が起きれば、今度は何をやってるんだ警察や検察は。とまた批判される。そうすると、警察や検察は、証拠を捏造してまでも何が何でも有罪にしようとする。

この日本人の悲しいまでの完璧主義と正義感が問題の本質だ。

この日本人の完璧主義と正義感の副作用は、司法だけでなく、政治や経済にも悪影響を及ぼしている。日本のすべての問題が最終的にはここに行き着く。それはこれからじっくりと論じていく。

国民世論を誘導できるのは、結局はマスコミしかない。しかし、マスコミは政治や当局以上に、大衆迎合的である。なんの知性も、理念もない。ただ、国民の感情を増幅するだけの陳腐な存在だ。こんなマスコミに国民を正しく誘導する能力はない。

その国の司法制度を見ればその国の成熟度がわかるという。司法と言う一見、国民生活と関係ないシステムがいかに成熟しているか、それがそのまま国民の成熟度になる。ならば、日本国民は成熟どころか、よちよち歩きのひよこである。

ほんとうに、もうあきらめしかないのが日本の司法である。
しかし、ほんの少しでも希望を抱くなら、、、

フランス革命後の恐怖政治は政敵の家族にまで及んだ。ギロチン台に連れ出されたある少女が、死刑執行人に言った。その言葉を聞いた死刑執行人は後のことを部下に任せ、家に帰ってしまう。

その言葉を最後に送ろう。

「あなたたち、ほんとうに、これでいいの?」



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