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第7話 政治家にどこまでも潔癖性を求める日本人。

日本ほど、政治家に完全な潔癖性を求める国もあるまい。トランプのような人間を大統領にしてしまうアメリカとは違う。

政治家は、金にクリーンで、スキャンダルはなし、不倫は完全アウト、差別発言も完全アウト、人事権をふりかさず、周りの人間の話をよく聞き、反対派には粘り強く説得し、混乱を起こしてはいけない。愛想は良く、とことん説明責任を果たし、だれからも好かれ、慕われる。

有権者の意見はよく聞き、柔軟に対応するが、信念を変えると、それはそれで批判される、国民の空気を読み、けして怒ってはいけない。

こんな完璧な人間がいるだろうか。政策とは関係ない完璧な人間性を求める。総理大臣にふさわしい人というアンケートでは、必ず「人柄がいい」という答えが上位にくる。

これだけ、完璧な潔癖性を求めると、やりたい政策なんて絶対に実行できない。政治家は委縮し、守りに入る。

では、なぜ日本国民は政治家にこれだけ潔癖性を求めるのか。答えは簡単である。

日本人には将来ビジョンがなく、求める政策もなく、政治家に何も期待していないからである。期待していないので、どうしても粗探しになる。

左派・批判家は、よく政治家に将来ビジョンがないと批判するが、政治家にビジョンを求める前に、まず自分たちがビジョンを持てといいたい。左派・批判家にはまったく日本をどうしたいのか、一切ビジョンがない。求める政策もない。

あるといいたいだろうが、「まじめな人間が報われる社会」とか「誰もが安心して暮らせる社会」とか、あるいは、ストレートに「景気を良くしてほしい」とか、そんな抽象的なふわふわしたもので、具体性が一切ない。

年金制度ひとつとったって、何ら具体的な案がないではないか。

右派や保守派の人たちは違う。政治家に求める政策がはっきりしている。
「靖国公式参拝」、「夫婦別姓反対」、「尖閣死守」非常にはっきりしていて、それを政治家に求める。

右派や保守の人たちは、これらの政策を実行してくれることが一番重要であるので、政治家の人間性は、どうでもよいという事はないが、それほど重要ではない。だから、安部政権のモリカケ問題など、大した問題ではないのである。

民主主義を実践しているのは、右派・保守派の人たちだろう。

ちなみに私は、政治家には「司法改革」を望む。もし、「司法改革」を実行してくれる政治家がいるなら、人間性なんてどうでもいい。殺人犯でも構わない。(どこかの国に殺人犯の大統領がいたが)
それで日本がよくなるなら、多くの人が救われるなら、政治家の人間性や潔癖性などどうでもいい。
(ただ、選挙に絡む不正は許してはいけない。これは民主主義の根幹にかかわるから)

政治家は、民主主義の道具であり、手段であり、目的ではない。潔癖な政治家を生むのが目的ではない。

織田信長が、豊臣秀吉が、西郷隆盛が、そんな潔癖な人間だったか。政治家に潔癖を求めている限り、日本は良くならない。


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