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《魂の織りなす旅路》の成り立ち

こんにちは!光のひーちゃんだよ。

《魂の織りなす旅路》は
天界の光たちが書いた小説です!
NAKの脳のスペックで書かれたものだけど、
内容そのものは天界の光たちによるものです。

ひーちゃんもどんな内容になるのか
天界の光たちがどんな小説を書くのか
ぜぇんぜんわからないでいたから、
NAKが書き進めているときに
これはどんな展開になるんだろー?って
ものすごくワクワクしたよ!

NAKは次にどうなるのかなど何もわからずに
てにをはをチェックしたり、
話が唐突過ぎだとか
もう少し膨らませた方がいいとか、
文章をチェックするしかできなかったから、
本当に最後まで書き上がるの?って
話の完結が見えてくるまで
ずっと不安になりながら書いてたよー。

ちなみに、
NAKはスマホで文章を書いているんだけど、
どこからか降りてきた言葉を
無意識に書いていく自動筆記とは違うんだよ。
天界の光たちはNAKの脳を使って書いたし、
NAKは無意識に陥ってないしね。
天界の光たちはNAKに思いつかせるの。

思いつくっていうのは、
書きながら思いついていくのか
思いついてから書いているのか
その差がわからないくらいに
書くのと同時に思いついていく、みたいな感じ。

これを天界の光たちができたのは、
NAKが脳ではなく魂で生きているから。
だから、NAKの中では
どこまでが天界の光たちによるもので、
どこからが脳で手を加えたものなのか
はっきりしてるんだよねー。

今ひーちゃんが書いてるこの文章も
ひーちゃんが書いてはいるんだけど、
NAKの脳を使っている以上、
語彙はNAKの脳内にあるものになるし、
てにをはとか変だと思うと、
NAKが手直ししてくれたりするんだよ。

そーいうことをね、
ひーちゃんとNAKは
毎度毎度話し合うんじゃなくて
自然に流れるように
文章を書くと同時にできるの。

これは会ったことのある人なら、
なぁんとなく
わかってもらえるかもしれないなぁ。

ひーちゃんはNAKを通じて、
すでに何人かの人たちと出会ってるんだけど、
そのときNAKの表情が
ひーちゃんになったり
NAKに戻ったり、
瞬時に入れ替わりながら会話するんだよね。
ときにはひーちゃんとNAKが
同時だったりもするしね。

で、そういう会話も自然の流れなんだよねー。
ひーちゃんがしゃべるのも
NAKがしゃべるのも自然なの。
次はひーちゃん、今度はNAKだなんて、
いちいち話し合ってなんかいないんだよね。

例えて言うなら、
AさんとBさんの目の前に
ひとつのマイクが置いてあって、
2人とも同じマイクを使って
話してるって感じかな。

小説もそう。
天界の光とNAKの目の前に
ひとつの脳が置いてあって、
その脳を使って共同作業で書いている。
天界の光たちは内容担当、
NAKは校正担当、みたいな感じだね。

こんな風に、
《魂の織りなす旅路》は
魂や時間、人としての生について、
人間に伝わりやすいようにと
天界の光たちが編み出した物語です。

この物語の本質が
みなさんの魂に届きますように!

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