鈴木敏夫とジブリ展
福岡市博物館で開催中の鈴木敏夫とジブリ展に行ってきた。
言わずと知れたあのジブリを作り出した名プロデューサー鈴木敏夫の幼少期から青年期、波乱の学生時代、ジブリ立ち上げ、そして現在に至るまでを贅沢に展示する今展覧会。
ジブリ大好き人間としてこの展覧会、行かないわけにはいかない……!
さて、その内容は。
幼少期に感じた矛盾と学生時代の絶望
既製服の製造販売を営む家に生まれた鈴木敏夫少年。
幼少期から映画や少年誌など創作物を友達と楽しんでいたごく普通の少年が、最初に感じた矛盾は学校では貧乏な子達と接して、学校が終わってからは川の向こうのお金持ちの子と遊ぶ、そんな社会の格差を感じるには十二分すぎる矛盾だった。
そんな矛盾を抱えた少年が成長し、学生になった時、社会への不満を講義する学生運動に参加するようになった鈴木青年。
若者が攻撃的に大人に刃向かうことで、社会の鬱屈した何かに立ち向かってるつもりだったのに、その学生たちを裏で煽動してたのは、刃向かってるはずの別の大人だった。
その時感じた絶望感と、諦めを胸に鈴木青年は社会人へ成長した。
私はこの展覧会に訪れてみて、鈴木敏夫の活動根源となった感情は、この矛盾と絶望感だったと思う。
この時の負の感情から湧き出た創作の気持ちが、鈴木敏夫を歴史に名を残す名プロデューサーへと変身させ、のちのスタジオジブリ設立に繋がったと考えると、やはり人を魅せる幻想の世界は、どうしようもなく辛い現実から生まれてくるのだと感じ、感慨深かった。
もう味わうことのできないあの時代に閉じこもる
展示会では、鈴木少年の実家の部屋であったり、現在住んでいる家の書斎が再現してあった。
もうこれが最高にいい!
どちらも昭和の名作の本や、雑誌、ポスターなどが所狭しに並べられ、昭和の銀幕スターの映像が流れていて、それはそれは夢見心地な空間が広がっていた。
戦後、日本が元気を取り戻し、輝いていたあの時代がそこにはあって、今の元気がないもう猫背気味の日本で過ごしている私にとっては、ちょっと涙が出そうなくらいの世界。
時代は繰り返すとはいえども、戻ることはできない。
あぁ、羨ましい。
私がもう絶対に味わうことのできない空間がそこにはあって、私はそれがとても羨ましかった。
何か嫌なことがあった時、あの空間に閉じこもりたい。
鈴木敏夫からのメッセージ
それで今回の展覧会は撮影スポットが所々にあり、どこも例に漏れずたくさんの行列があった。
みんな写真や動画を撮ることに夢中で、とても楽しそうにしていた。
そして子供から大人まで、老若男女が入り乱れるグッズ売り場。
知ってはいたけど、やっぱり凄い。
スタジオジブリの人気の高さが窺える。
でも今回の展覧会での内容をよくよく見てみると、割と過激というか、センシティブな内容が展示してあった。
最初にも言った通り、鈴木敏夫の原動力は“矛盾“と“絶望感“であると私は思った。
だけど、そんな負の感情を原動力にここまで大人気コンテンツを生み出した鈴木敏夫の歩みを見ていると、人生において大切なのは、周りの目を、意見を気にせず、自分のやりたいことをやれ。
きっとそのうち誰かが認めてくれる。
そう言われているような気がして、ちょっとグッときた。
最後に
ジブリと言えば、宮崎駿。
それも確かにそうなんだけど、スタジオジブリの設立には、間違いなく鈴木敏夫という名プロデューサーがいないことには、成し得ていなかった。
最近はちょっと炎上と呼ばれるような行動が目立っているようだけど、この人はやっぱり天才だ……と感じざるを得なかった。
ジブリパークもできて、7月には新作も公開されて(それも見たのでいずれ感想文出す、つもり)激アツのジブリ展。
そんな展覧会は福岡市博物館で8/31まで開催中。
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