舟
これは、9月16日に、ある事情から「もうだめかも」と思ったとき、ぜんぶを諦めながら書いて、投稿することができなかった下書きです。
何度も読み返し、そのたびに当時の自分の悲しみを思い出すのと同時に、その痛みがまったく癒えてはいないことを再確認していました。
夜に死んで、次の朝に生まれ変わり、まったく別の人間かのように生き生きと暮らせればいいのだけど、現実はそうではありません。
未来に関する話がなによりも怖いわたしだから、自分で「これが最後」と思って書き出した言葉たちはどれも、過去のことばかりでした。
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この世界に生まれてよかったです。
悪意や嘘や暴力に満ちていても、それをかき消さんと叫ぶ善意は、自分のなかにも、そして世界のどこかにも、ちゃんとあるのだと信じられました。
わたしが見てきたものが、見なくていい悲しみだったのだとしても、
わたしがこらえてきた涙が、こらえなくていいものだったのだとしても、
のたうち回って引きずって、ほんの少し磨かれた心が誰かの背に手のひらを添えることができていたなら、それでよかったのだと思います。
「あなたがあなただったから、誰かを少し守れたよ」と、
過去の自分を救うために、誰にも見つけてもらえなかったいつかの自分を抱きしめるために、わたしは歩いてきました。
さみしいさみしい、道のりでした。
ふと見上げた空が途方もなくきれいだったこと、
わたしの腕のなかで喉を鳴らす猫の温かさ、
誰かがそっと送ってくれたメッセージ、
否が応でも心を揺らす物語や音楽。
何度も何度も、ちいさく心を救われて、どうにか生きていく力をもらえていたように感じます。
誰かの「会えてよかった人」に、わたしはなれていたでしょうか。
わたしには、ごめんなさいも、ありがとうも、言えていない人が何人もいます。どんなに言っても言い足りないのに、もう会えない人が。
そんなわたしは、きっと誰の物語でも、あまり重要な役目を果たせていないのだろうけど、でも、彼らの行く先にあった小石をひとつでも取り除けていたらいいなと、切に思います。
やさしいはずだった世界で、何者にもなれなくても、
わたしと、わたしの愛したすべての人が生まれて生きたこの世界が、わたしはきっと大嫌いで、それ以上に、ほんとうに大好きでした。
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