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僕のワインストーリー 第1話「そもそもの始まり」【ほぼ週ノーザン】

そもそもの始まり

1999年25歳の時スイミングスクールで働いてた私。ワインの世界で有名になっていた従兄弟のソムリエにワインを飲ましてもらって。それはもうカルチャーショックで自分もその世界に憧れた。

タイユヴァンロブションのソムリエの従兄弟。まぁ絶対に追いつけない存在。ものづくりや職人というものに憧れていた自分は、ソムリエというより造り手になりたいと思った。ワインを造るには?自分の家の畑をブドウ畑に変えてワイナリーを始めるには?自分なりに調べて見積もりを手に入れたが3億円という金額。ハッキリ言って戦意喪失。25歳の自分には想像もつかない世界。

25歳、競泳コーチだった頃。お隣はソウル五輪の渡辺選手。

おまけに親父に「お前に貸せる畑はない」と親子喧嘩が勃発。取っ組み合い殴り合いのケンカの果て、家を出て行くことに。バックひとつで飛び出して貯金もほとんどなくボロボロ。東京でプログラマーになった。

2007年に母が他界。葬式で叔父から「ワインやらないか?」と話を持ちかけられた。叔父は昭和の時代からワインブドウ栽培をやっている大町ワインブドウ生産組合の組長だ。自分もそろそろ実家に戻って落ち着きたかった。すでにワイナリーを4,000万円くらいで始めた人がいると叔父から聞いた。醸造免許の生産量要件もグッと低く6kリットルとなってるらしい。東京の仕事を辞めワインを造るぞと意気込んで「よしやろう」と決めたのが2007年。

全くの素人、手探りの状態だった。叔父がついてるから大丈夫だろう思ってた。叔父がブドウ畑の資材や苗木を発注してくれて、どうやってブドウ畑を作るかもある程度は聞いて把握はしていたけれど。
2008年4月春、さあやるぞ!というところで叔父が倒れて入院。さあマズいぞと。やり方がわからない。。

つづく

ワイン造りを志す前の私↓
あの頃から25年。右肩下がりの人生。笑

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