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「必要ではないこと」を続ける意味

こんにちは、2021年8月ももう終わりに近づいていますね。ふと2021年の目標を見返すと「小説を10冊読む」があり、それが達成されていることに気づきました。私は中学生以降は小説を1年間に10冊も読むことはありませんでした。それは「小説を読むことを必要だと感じなかったから」この一言に尽きるからです。

20歳を超えてビジネスへの興味を持つようになり、ビジネス書を読むようになりました。ビジネス書を読むことは必要なこと、だから私はビジネス書を読んで成長を感じるところがありました。

2011年から毎年自分の読んだ本をノートにつけていて、ビジネス本を読み始めた自分は明らかに2011年の頃と精神面に違いがあると思いました。受動的で消極的な姿勢が80%だった自分が、少しずつ前向きになっている証拠でした。

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この頃の自分ってハリーポッターみたいなSFジャンルだけでなく、古事記とか天地明察みたいな歴史ジャンルも読んでる...

ただビジネス書を読んでいる2020年の自分は記録をつけ始めた2011年よりも感情が鈍くなったように思ったのです。必要なことに囚われすぎて何か大事なことが見えなくなっているような気がする、そう思った私がまず何を始めようと考えたかというと、「小説を読むこと」でした。

小説を読むことは必ずしも生きることにおいて必要なことではありません。小説を読まなくても、人は何気ない生活を送ることができるでしょう。ただ感情や感性を研ぎ澄ますために、小説という手段を選ぶに至ったのです。


ただビジネス書籍を読むのと小説を読むことは勝手が違うと思います。ビジネス書籍は自分にとって必要なことや知りたいところだけを端折って読むことは珍しくありませんでした。しかし小説を読むとき、必要なことだけを読むということはできません。最初から読み始めて流れを汲んでいく、そして想像していくこのプロセスを積んでいかないといけません。

だから2021年一番最初に読んだ小説「シャーロックホームズの冒険」1冊を読むのに3ヶ月もかかってしまうレベルです。小説は必要なことだけを読むわけではない、だから難しいのです。

私たちは仕事をしていても勉強していても、「ググる」という言葉が定着するほど必要なことを探し当てる能力を重要視しているのです。だから必要なことだけを探し当てる作業は近年のネットネイティブは長けているのだと思います。

だから私たちは必要なことを探しそれを実行しています。でもそれだけでは足りないのではないでしょうか。


「必要ではないこと」それは小説でもいいしアニメでもいいし映画でもいい。きっとそれは生きていく上で必ずしも必要ではないことでしょう。それでも小説・アニメ・映画を見ていて、心を揺さぶられる瞬間を味わうことがとても好きです。

自分は体験したことはないけど、人にしてあげたいことを知るチャンスだったり絶対にしてはいけないことを学べるチャンスです。人を知る相手を知る感情を知る、言い換えればそういうことかもしれません。ただ私の中で必要ではないことをするというのは、エモい自分になるということと同義なのです。




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