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「親」を脱いでみて感じたこと

わたしたちは普段、いろいろな役割を「着て」いるのではないかと思います。
たとえばわたしは、「会社員」「親」を着ています。

この夏、少し長い間「親」を脱げる機会がありました。
娘とLINEで毎日やりとりはできるけれど、物理的に一緒にいないので、助けることもハグすることもできない期間。

それなら、と。

思い切って「親」をエイっと脱いでみました。

「会社員」は、退勤してしまえばある程度脱ぎやすいですが、「親」は365日24時間着ている方が多いのではないでしょうか。

「何の役割も着ていないわたしは、いったい何がしたいんだい?」
と自分に聞きながら過ごした日々は、娘を見送り空港から帰る成田エクスプレスからスタート。
娘と一緒だった行きとは打って変わって、とても心細くなっている自分がいました。

わたしは普段、娘がいるから強くいられているような気がしていただけで、実は「親」を着ていたおかげでしゃん、と立っていられたのだとも思いました。

きっと多くの子育て中の方がそうであるように、わたしも、
「早く帰らなきゃ」
「ご飯用意しないと」
「(娘が)最近疲れているから肉にしよう」
「一緒にご飯を食べたいから仕事を早く終えよう」
「娘が出かけるタイミングに合わせてわたしも友だちとの予定を入れよう」
「娘が寝る時間にあわせてできるだけ起きていよう」
などと、無意識に「娘軸」で行動しています。
そしてその軸をグラつかせないために、力強く踏ん張る努力もしています。

その「軸」が突然ぽーんとなくなったことで、わたしはなんだかグラグラになってしまいました。

わたしの友人は以前、
「子どもたちが学校の旅行でいないから、1人旅に出てくる!」
とアクティブに旅立っていきましたが、わたしにはとてもそんなパワーはありませんでした。
むしろ、娘がいるから出かける気になれていたことがよくわかりました。

「親」を脱いだわたしの生活は、
早起きをして
身支度や家事をしながら合間にドラマなどをみて
早めに仕事を始めて
早めにお昼ご飯を食べて
早めに仕事を終えて
早めに夕飯も食べて、お風呂に入る。

1日が無事に終わり、のんびり家にいられることがとても幸せだなぁ、と思いながら早めに寝てしまう。

毎日飽きずにこの繰り返し。これが、何の役割もないときのわたしでした。

同時に、
「親としての役割があるから、わたしの日々にはいろいろな彩りや刺激、感情が動く瞬間があるんだな」
とも思いました。ありがたい娘の存在です。

そして迎えに行く日。また「親」を着ました。

娘と一緒にいられる時間があとどれくらいあるかわかりませんが、まだしばらくは着ていられたらいいなと思います。