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〇〇がある生活#01 〜本〜

私にとって欠かせないものの一つ、それは本だ。とにかく家の中に、それも見える場所に本がないと落ち着かない。だが決して置いている本全てを読んでいるかといえばそうでもない。私にとっての本が一体どういうものなのか考えてみたい。

子供の頃の誕生日プレゼントといえばほとんどが絵本だった。新しく買ってもらったものもあれば、いとこなどからのお下がり品を頂くこともあった。私にとってはそのどれもが素晴らしい世界で、本を読んでいる時ほど集中力を発揮することはなかった。幼稚園から小学校低学年までは毎週のように図書館に通って10冊ほどの絵本を借りた。誰に見せるわけでもない、ただ声を出して読むのが楽しいという理由だけで紙芝居を借りることもあった。幼稚園の先生になりたかった私にとって紙芝居はめちゃくちゃ憧れだった。

小学高学年から中学に上がると、父が読んだ後の文庫本をもらっていた。父のお気に入りは東野圭吾さんを筆頭に、浅田次郎さんなど、作者を問わずミステリーホラー系もあった。その中でも特に、初めてもらった作品である、東野圭吾さんの「時生(トキオ)」が大のお気に入りだ。比較的分厚めだが、何度読み返したか分からない。過去・現在・未来を行き来する展開がたまらない。それと同じ理由で、浅田次郎さんの「地下鉄(メトロ)に乗って」も大好物だ。とにかくファンタジー要素がある内容が好みらしい。

高校生になるとクラスで漫画の読み回しが流行ったので、段々と遠ざかったが、たまに図書室の先生にオススメを聞きながら読むこともあった。掃除の時間に引き出しから落ちたのか、クラスの男子から、この本誰の?と有川 浩さんの「三匹のおっさん」のタイトルを大声で言われた時はめちゃくちゃ恥ずかしかった。が、めちゃくちゃ面白かった。後にドラマ化されたがあの時の男子は覚えていただろうか。

高校を卒業すると自分探しの旅にでも出るような勢いで一人暮らしをした。今でもそうだが、新しい街にきてまず最初にすることは、家から1番近い本屋を探すこと。私のお気に入りは、街の小さな本屋だ。テーマパークのような大きな書店も大好物だが、買うなら街の本屋さんだ。このときには最寄駅のすぐ近くにあって(本当にちょうど良いサイズ感のこじんまりした本屋さんだった)流行りの雑誌から今一番売れてる小説を一通り確認した後に向かう先が、いわゆる自己啓発コーナーだった。

当時、本当にあらゆる自己啓発本を手に取った。だがどれをとっても愕然としたのを覚えている。書いてあるもののほとんど全てを私は知っていたから。正直ハッとさせられるような言葉はないに等しかった。だが、どの帯にも大人による「感動した」「気付かされた」「考え方や人生の見え方が変わった」などの大袈裟な感想が書かれていた。私にしてみたら幼い頃からの母や兄、部活の監督などあらゆる人から言われてきた言葉がただ並べられているようにしか見えなかった。「何を今更」これが正直な感想だった。私が知りたかったのは私自身についてと、自分を確立しながら20代を迎え、大人の赤ちゃんとしてどのように歩き始めるかについてだった。特にこれといって参考になるものがなく、だからこそ余計に読み漁った。何かあって欲しかった。道標になるものが。

そんな時期も通り過ぎ(私の知りたいものは本にはないとわかった)次に読み始めたものは、興味のある事柄について書かれたエッセイ本だ。美容から映画などジャンルを問わず、面白そうだと感じたものは手に取った。この辺から段々と収集癖が出てくる。実生活に役立てたい、そんな思いから購入することになるのだが、如何せん私は自分の本棚を創ることが大好物で、一度手に入れた本は何があっても手放さない。いつかはその本棚で図書室を作り、そこで最期を迎えても良いだろうなぁと考えることもある。

そんな夢を描く頃には当然、本屋や図書館そのものに興味を示すようになった。特に海外は私には異次元の世界だった。カラフルな配色や魔法使いが持ってそうな茶色い本にときめいた。日本にはない綺麗な装飾が施された店内。とにかく積まれた本のタワー。梯子に乗らないと届かない、むしろ読ませる気を微塵も感じさせない見上げるような本棚の作り。自由で奇想天外でお店の個性がありありと感じられた。図書館に至っては教会かと思うほどの歴史を感じさせられる神々しさがある。段々と本そのものより、その空間が愛おしく感じられるようになった。

それを意識し出してからか、大型書店や図書館にくるとテンションが上がりすぎて身震いすることが多くなった。まるでテーマパークだった。私に取っての夢の世界は本屋だった。ただ夢を見させてくれるだけじゃない、夢と現実を、世界中のあらゆる人が教えてくれる。世界がここにあった。そうすると、小説なんかはパラレルワールドだ。1冊1冊に主人公の人生があり、ありとあらゆる世界観が広がる。空想好きの私にはたまらなかった。

現実が苦しければ苦しいほど、本屋に逃げた。特に本を読まなくてもただ足を運ぶだけで癒された。私にとって本はいつからか読むものでなく眺めるものになっていた。もちろん手に取って持ち帰る本もあった。だが読むためというよりも(読むための本ももちろんあったが)その本が持つ世界観を手に入れたかったから。生活の中で、ほんの一瞬でもその本が目に入り、ああこんな世界もある、こんな風に生きれたら…。そう思うだけで元気が出た。本は私にとって希望を見せてくれるものになった。

そして現在に至る。今回引越しをするにあたり、持ち出す本を選ぶことになったのだが、意外にもすぐに決められた。そして思ったより多くなかった。それはおそらく、私自身が今何を望み、どのような生活をし、今後どのようになることを望んでいるのか、わかっているからだと思う。望む未来について書いている本や、挑戦する私を癒してくれる本、諦めそうになったときに大丈夫と言ってくれるお守りのような本。既に読んでいるものや、これから読みたい本もある。そんな状態が私の好奇心をくすぐってくれる。

自己啓発本を読み漁っていた私は、知りたいことをいつの間にか知れていた。本を読むだけでは分からない、自分との対話が私をここまで連れてきたのは間違いない。でもそのためには本が必要だった。私にとっての本とは、切っても切れない、友人であり、家族であり、師匠であり、私自身の分身でもあったのだ。今日このことに気づくことができて、私はとても幸せに思う。


最後に、私のとてもお気に入りの絵本を紹介したい。
たかどの ほうこさんの「まあちゃんのながいかみ」
私の想像力は主人公のまあちゃんに影響されたのかもしれない。
特に最後の「もり」が大好きだ!

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