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【エッセイ72】裸眼になった私は、特別な人ではなくなった

私は子どもの頃、眼鏡をかけていた。
幼稚園に入る前から、10歳の誕生日まで。
10歳の誕生日が来たら眼鏡を外していいよ、とお医者さんから言われていた。

幼稚園の頃、眼鏡をかけている子どもなんて、周りに一人もいなかった。もしかしたら園に一人だけだったかもしれない。
だから幼稚園では、クラスメートだけでなく、知らない子からも「なんでメガネかけてるの?」と聞かれまくった。
それこそ、「なんで左手でお箸持ってるの?」と同じぐらい質問された。

今、当たり前みたいに言いましたが、わたし左利きなんです。
周りにあまり左利きの子どももおらず、なぜか眼鏡と利き手について質問責めに合っていた。

私はその度に「利き手が左っていうだけで、みんなが右手でするのと同じだよ」と答えていたが、みんな不思議そうな顔をするばかり。
逆に私は「なんで伝わらないんだ。みんなの右手と同じじゃないか」と困惑していた。幼い私にはそれ以上、説明のしようがなく、どう考えても話は平行線を辿りそうだったからだ。

今質問されたら私はこう答えるだろう。
「あなたが右手でお箸を持つように私は左手を使うだけで、どっちを使うかの違いだけだよ。どっちの手が得意かっていうだけだからね」
同じだな。幼稚園児の頃から、何も変わっていなかった……。
あの頃、最善の回答をしていたということが分かった(前向きだな)。

その答えを覚えたクラスメートたちは、他のクラスの子に私が聞かれているのを見かけると、私より先に答えてくれるようになった。
「なんで左手で書くの?」
「ナノハナちゃん、左利きやからやで」
私はその横で、えぇそうです、と頷くだけでよくなった。

「なんでメガネかけてるの?」
これに関しては正直私もあまり理解していなかったので、正確には覚えていないのだが、親から聞かされていた通りに答えていた。
「乱視だからだよ」
いや、幼稚園児に対して、その回答は難しすぎるだろ!

今、なんとなくコナンの気分になった。
もちろん私はアポトキシン4869を飲まされたわけでもなく、普通の幼稚園時代を送っていたが、大人になった今あの頃を思い出して、幼稚園児への回答を考えたときに、コナンが舞い降りた気がした。
まぁ、ませたガキであったことは、確かかもしれない。

当然、乱視だからと言われて即座に理解する幼稚園児がいるわけもなく(いたらなんかコワい)、みんな「目が悪いからだ」「勉強のしすぎだ」と適当に解釈して、納得していった。

勉強しすぎたら目が悪くなる、と思っている子どもたちのイメージってちょっと面白い。きっとアニメなんかに出てくるインテリくんが、たいがい眼鏡をかけているからだろう。
それともしかしたら、私がその頃すでに公文に通っていたから、勉強できるヤツと勘違いされていた可能性もある。

ちなみに3歳ですでに公文に通っていた理由は「自分で本が読みたかったから」で、英才教育とかではないんです。私がやりたいと思うことをやらせてくれる両親だった。

そんなこんなで小学校に上がり、私の周りでは、またもや「なぜ眼鏡をかけているのか」という質問が飛び交った(大げさ)。
そしてまたもや私は特に芸もなく「乱視だからだよ」を繰り返していた。
きっと私の友人たちは「乱視」という言葉を、平均より早い段階で習得したことだろう。

その後、私は二度の目の手術(これは斜視の)を経て、約束の10歳を迎える。

10歳の誕生日が来たら、眼鏡を外していい。

私の中でそれは特に喜ばしいことでもなく、「へぇ、そうか、裸眼だと見にくくなるな」というぐらいだった。
母は「大変だったのに頑張ったね」と言ってくれたが、私としては物心ついた頃には眼鏡をかけるのが当たり前だったので、特に面倒とか不便とか思うこともなく、普通に過ごしていた。

ちょうどその少し前ぐらいから、同じ学年にもう一人、メガネ男子が現れた。やっと周りが自分に追いついてきたと思った(おこがましいな)し、これで眼鏡で目立つことはなくなったぞ、と思ったものだったけれど、それは自分の特別感がなくなった時だったのかもしれない。

思えば幼稚園時代に、眼鏡や左手のことを聞かれることは一種の優越感のようなものがあって、嬉しかったのだ。
実際「左利きかっこいい!」ってよく言われたしね。素直に嬉しかった。
でも当時は、日本人特有の美徳を発揮し、「そんなことないよ」なんて答えていた。

しかし、そんな純粋な質問は成長するにつれて減っていった。

そして、10歳になって眼鏡を外したとき、もう私は特別な人間ではなくなっていた。
眼鏡をかける意味も、左利きの人間がいることも、みんなが理解した。もう質問はされなくなった。

特別でなくなった私は相変わらず、楽しく、時に辛い小学校生活を送り、中学、高校、大学を卒業し、社会人となった。

あの日、眼鏡を外してから、もうそろそろ20年が経つ。
私は今、自分の特別な能力を探して、日々を懸命に楽しんでいる。

誰かの心に残るものを創るために。


















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