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主体的な遊びに向かうまでのプロセス①



主体的な遊び=夢中になって遊び込む遊び

遊びの中で子どもは育つというが、つまらないと感じる遊びの中では育たない。言い換えれば「楽しくないと育たない」のである。
子どもが楽しいを感じているときは【子どもが能力を同時に発揮しているとき】ときであるから。
それが発達であり成長。これは平たい薄い遊びのときには見られない。
遊び込んでいるときに見られる。
よって、主体的な遊びとは夢中になって遊び込んでいる遊びとして綴る。

遊び込むまでのプロセスは3段階



こんな感じにまとめてみた①

夢中になって遊び込むまでには3段階の大まかなプロセスがある。
1番目の段階で援助や環境の理解を間違えると、2、3といけたとしても
「遊び込む」まではいかない。さらに1の理解をはき違えていると2,3の援助が適正であれど、うまくいかない。
保育者同士で議論をするとき、終着点が見えないときやすれ違いばかりで対話が進まないときがある。それはだいたい、最初から夢中になる遊びについての援助や環境を話し始めるからである。1,2の理解を共通にしていないと、答えがでない、成果が見えない話し合いになる原因である。


もちろん例外もある。人間だもの。しかし私はこの考え方をマニュアル化してもよいと思っている。マニュアルという言葉は誤解を生むだろうが『保育をマニュアル化!』これくらいインパクトがあった方が白熱しそうでよい。
実際には直接的な援助を述べるわけではないし、同じようなことは様々な書籍で述べられているので割愛。

第1段階は教育的に価値のある環境


まずはここから~

【プロセスのうち最も難しく最も大切な始まり】
環境には4つの環境があることとする。
・人的環境
・物的環境
・空間的環境
・時間的環境(空間に入ることも多い)
この4つの環境を考えるとき、教育的価値を与えるもしくは見出さねばならない。
どうやって教育的価値を考えるか?子どもにとって利益であること。
考え方としては【発達段階等の基本的な幼児の特性】【個性(家庭環境等等含む)】である。
これを子ども理解をいう。
この分析が間違っていると環境も援助も間違いが生じやすく第二段階には進まない。超当たり前のことだが超大切で超難しいのでだいたいこれができない。社会背景や時代の影響も受けるからである。

どの段階でもそうだが、一人で分析しない。主観だけでは他人(子ども)を理解することは到底できない。そんなのは神様しかできないと思ってる。
ゆえに経験が浅い人ほど他の人の意見の数がものを言う。


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