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アイデンティティが無い

自分は自他ともに認める燃えやすく冷めやすい究極の飽き性です。それが嫌でずっと何か一つを極めなければならないものを見つけなければいけないとずっとずっと悩んできた、なぜなら自分は自己像の確立がされてない、誰からも評されることのない無価値な人間だと本気で思っていたから。そして長年、「自己像の確立」というものに苦しめられていたためにうつ病が悪化していったのも大いにあると思う。

アイデンティティの確立とは自分が何者なのか知ること、他の誰でもない自分の個性を知ること、それを確立すること。

私は秀でたものがなく、全てが中途半端で中身の無い人間です。

幼少期の私はいろいろなことに興味をすぐ持つ子供だった。
好きだったアニメに影響を受けて薬草に興味を持ち、家の近くの山で草を沢山摘んできて親のスマホで何の草なのか調べてから鍋で薬草茶なるものを煮出してみて親に怒られたり、
父が魚が好きだったためその影響を受けて魚の図鑑を読むのを好きになり必死に熱帯魚の名前を覚えたり、
音楽を聞くのが好きだったから習ったことの無いピアノをいきなり独学で始めたり等、挙げればキリがない。
小学生の頃、音楽の授業はピアノの近くに席があったため先生が弾いてる様子を目で何度も追いかけて、覚えて、習ったことの無いピアノを一から真似して弾いて練習し、中学では合唱の伴奏、高校では有志でピアノを弾いたりするほど「そこそこ様」にはなった。
本当に一度興味を持ったら一気に燃え上がるタイプだった。
でも究極的に冷めやすい人間なので「そこそこやったら」すぐに辞めてしまう。そのうえすぐに結果を求めたがる我慢のできない人間であるため「私にはこれは向いてないんだな、もうやめた」と放り出しがちだった。そしてすぐ妥協する癖が付いた。これは私がただただ我慢のできない中途半端な人間なのが悪い。人生においてもそう、我慢が出来ないからすぐ生きる答えが欲しくて苦しんで鬱病が悪化している。

中学卒業間際から、「自分ってよくよく考えてみれば中身が無い人間だな」と悲しさを覚え始め、段々と「自分って特に誰かと違う個性も美しい容姿も綺麗な心も持ってないな」と虚しくなっていった。そのせいで本当に楽しめることを見つけられなくなり、それは日を増すごとに悪化した。何に対してもやる気が起きなくなった。
得意な事とか長年続けているものがある人や、男女問わずに顔が良いからとちやほやされ学校で人気がある人、性格が良くて人望のある人らを見る度に勝手に腹が立って虚しくて虚しくて堪らなくなるようになった。崩れそうな自分を支えるために人の粗探しばかりをするようになった。

うつ病になった要因はこれだけじゃなくていろいろ絡み合ってて複雑で自分でも分かっていない心の奥底のものが原因だったりすることだったりと、これといった明確な原因を断言は出来ないけど、この虚しい劣等感といつまで経っても自分が理想としている自己像の確立が出来ないことに焦りを感じたという事実は自分の気持ちを滅茶苦茶にした。


自分もどこかで同じような事が起きてしまったんだろうなと思う。
いつまで経っても自分が何者なのか分からない、何がしたいか分からない、自己像が確立出来ない。そのせいで常に体のどこかが欠けてしまっているような大事な何かを忘れてる感覚がずーっとしている。

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