鉛筆シャープとわたし。

あれは何年か前の職場の昼休み。むしゃくしゃしていた(またか!)ので、美味しいスイーツでも買って自分をなだめようと最寄りのコンビニへ。しかしわたしが購入したのは美味しいスイーツではなく、

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これだった。ストレスがたまるとノートを買わずにはいられない謎の奇病を患っているわたしだが、なんなら筆記用具でも構わないという守備範囲の広さには定評がある。誰にだ。

それはそうと、昔から鉛筆が好きだった。幼少期、鉛筆がうれしすぎて興奮した挙句滑って転倒、削ってとがったほうをまぶたに突き刺したくらいである。鉛筆と紙さえあればひたすら遊んでいられた。ごきげんだった。絵なのかなんなのか、いやおそらく絵ですらない得体の知れない何かをえんえんと描き散らかしてはほくそ笑んでいる我が子に対し、両親がことあるごとに「たまには外で遊べ」と叱りたくなるのも無理はない。鉛筆を感性のみで動かして紙を埋める、ただそれだけの作業の一体何がそんなに楽しいのか、全然まったくこれっぽっちも理解できなかったに違いない。

しかしたまに外で遊んだかと思えば、なんか知らんが頭を切って数針縫うという大惨事に見舞われてしまうのだから、ひとには向き不向きがあるのだということを両親には学んでほしかった。お外で遊ぶだけで大怪我である。非常におそろしい。しかしながら鉛筆目潰し未遂事件は屋内でのことだったはずだし、怪我をするのはあくまで持ち前の壊滅的な身体能力のせいであって、お外のせいでは決してないのでは?などといった正論ほどつまらないものはないと思っている。

そう、そんなつまらない正論はスルーするとして鉛筆シャープである。0.7mm芯である。わたしは普段0.5mm芯のシャーペンしか使っていないし、0.7mm芯自体手に取ったことすらなかった。縦方向にも横方向にも身体がデカいわたしではあるが、書く文字のサイズは異様に小さい。0.7mm芯ではなんていうかこう、線がもさもさして必然的に文字がつぶれてしまうのではないかと思ったが杞憂に終わった。言うほど気にならなかったし、何より

「安定して握れる六角ラバーグリップ」

が素晴らしすぎた。手にしっくりとよくなじむ。鉛筆シャープは一般的な鉛筆より若干軸が太いのもいい。とにかく握りやすいのだ。握ったが最後、へし折らんばかりに強く握りしめる悪癖があるので、ラバーグリップがたいへんありがたい。ペンだこへの負担は可能な限り軽減したいもの。ヘッド部には結構なサイズのくり出し消しゴムがついていたり、金属製のペン先は収納できたり、もっと評価されてもいい一品だと個人的には思っているが、残念ながらわたし以外に使っているひとを未だに見たことがないのだった。

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