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わたしにだってある。(その1)

残念ながら働かなければ食うにも困る御身分である。食うにも困るから仕方なく働いているだけで、余裕で食える潤沢な財力があれば働いてなどいない。たいていのひとがそうであるように、働かなくて済むのであれば働きたくないと思う。毎日毎日ヘトヘトで、週休2日制であるにもかかわらず、いずれか1日はほぼ寝て過ごすことを余儀なくされている。寝て起きると身体中が痛い。働くこと、金を稼ぐことが正直つらいとしか思えない。楽して稼げる金はないにしても程がある。

正社員が8時間で(なんなら残業もして)こなしている仕事を、何故パートのわたしが7時間30分でこなさなければならないのか。理不尽。役職手当がつく人間のミスなのに何故時給ピー!円のわたしが客先に謝罪しなければならないのか。理不尽。正社員と同じ責任が発生しているわけだが、ボーナスの額がひと桁もふた桁も違う。同一労働同一賃金はどうした同一労働同一賃金は。理不尽が過ぎる。日々不満でいっぱいいっぱいで、耳の穴から鼻の穴から穴という穴から噴き出しそうだ。そんなにイヤなら辞めればいいだろ、という火の玉ストレートな正論は、年齢的に崖っぷちなこのわたしには通用しない。だいたい今の職場に採用されるまでにわたしが何枚履歴書を書き、何度「イラネ」されて、挙げ句されたくもないお祈りをされたと思っているのか。あんなトラウマレベルでみじめな思いはもう二度としたくないという、ただその一心で辞めないでいるだけにすぎない。

歯を砕かんばかりに食いしばって7時間30分(あるいは残業時間をプラスして)を過ごすのは肉体的にも精神的にも負担が大きすぎる。耐えられない。救いを求めて自己啓発本を読み漁るなどしてみたが、ポジティブポジティブうるせぇよとしか思えず、かえって気持ちが荒んだだけだった。「お金も恋も宇宙におまかせ☆」みたいな本にまで手を出したが、どうしてもポジティブポジティブうるせぇよとしか思えず、一層荒んで終わったのだった。「真っ先にクビを切られる立場なのだから、そこまで自分を犠牲にする必要はない。自分ができるのはココまで、と線を引くべきだ」と友人に言われた。

真っ先にクビを切られる立場

の説得力の強さは異常。どんなにココロを砕いたところで、文字どおり身を粉にしたところで真っ先にクビを切られる。真っ先にだ。猛然とバカバカしくなって、とっとと「ココまで」の線引きをしようと試みた。だが、どさーっ!ばさーっ!と置かれる注文書やら見積依頼書やらのFAXを必死にさばいて電話が鳴れば取り鳴れば取り、ショパンやリストの真っ黒楽譜も実は弾きこなせるんじゃね?と思わせるには十分すぎる超高速データ入力を披露せざるを得ない有様である。線を引こうとか言うてる場合ではない。時間がない。仕事でぱんぱんにして思考することを諦めさせるというのがヤツのやり方らしい。コレが終わったらアレをやってソレが終わったらアレをやってととにかくあせっていた。追い詰められていた。ひょっとしたらわたしは人並みはずれて能力が足りないのではないかとも思った。もともと時間の使い方は上手くない。圧倒的に計画性に欠ける。いきあたりばったりだ。だからこそこんな人生になったとも言える。どうだまいったか。

心情的にはKUSOGAKUSOGAと常に呪いの言葉を唱えている気がする。KUSOGAにふさわしい鬼の形相だけはしないでおいた(マスクは便利)。社会人としてやっていいことと悪いことの区別はつく程度には長く生きている。とは言えKUSOGAと思いながら笑顔を心がけるとか狂ってるとしか思えない。慢性的に生きるのがつらい。突発的に声を上げたくなるような絶望感に苛まれるし、ごくまれに死にたいと思うようになった。ピアノで弾きたい曲を弾く、たったそれだけのことすら疲れ果ててできない。あおるドリンクのタウリンの量だけが増えていく。何のために生きているのかわからない。しあわせになる権利が、わたしにはないのか。一体何が悪かったのか。何もかも悪かったのだろう、きっと。ひとは皆わたしよりも能力があり、努力もしているのだろう、きっと。能力がなく、ことごとく努力を怠った自分が悪いと責めてメソメソする夜もある。メソメソしたところで働かなければ食うにも困る御身分が変わるわけではない。働かなければならない。願ったことが何ひとつ叶わなくても働かなければならないのだ。

先日、とある検査で若干疑わしい結果が出たということで、紹介状を書くからなるべく早く専門医に診てもらうようにかかりつけ医に言われた。なるべく、というよりは一刻も早くという感じでなかば強引に予約を入れられた。無論平日である。あちこちまわって頭を下げて有休を申請しなければならないことを何よりゆううつに思った。有給休暇は労働者の権利であるにもかかわらず、ただでさえ人手が足りないのに迷惑をかけて申し訳ないなどと罪悪感さえ抱く始末である。なんということだろう。何よりも先に、まず自分の身体の心配ではないのか。命に関わる病気かもしれないのに。優先順位がおかしいことに気づき、愕然とした。骨の髄まで社畜という名の奴隷根性が染みついているのかと泣けてきた。だいたいただでさえ人手が足りないのはわたしのせいではない。知ったことかKUSOGAとココロを燃やし、あちこちまわって頭を下げて有休を取ったのだった。

(つづく)

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