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適応障害になった時のこと②

メンタルクリニックへ行くことになった私ですが、その時は大きな原因は仕事だと思っていました。

私の働いていた幼稚園は大好きだった母園でした。
自分が園児だった頃からの先生もいらっしゃり、とても嬉しく働いていたのですが……

労働環境がなかなか良くなく、毎日残業は1.5時間、仕事から離れる休憩はなし。持ち帰りの仕事も当然のようにある。
子どもの数は30人超えで、加配が必要な子は沢山いるけれど1クラスに先生は2人ほど…という状況でした。
なかなか改善される様子も無く、私はこの環境が当たり前なのだと思って働いていました。

5年目になり、担任4年目。
これまでも大変なクラスを持つことはありましたが、何とか年度末までやり切っていて。
全国平均的に、1クラスに配慮が必要な子どもは10人に1人の年でした。
ですが、その年は35人子どもが居る中で、療育へ通ったり発達障がいの診断が出ている子が3分の1という驚きの割合になってしまいました。
教師はクラスに2人。トイレや職員室は離れていてなかなか目が届かない…という状況で、集団を動かすことに色んなことを考える年でした。

子どもたちは皆かわいいし、誰も悪くない。だけどかわいく感じられなくなってしまう。そんな自分が嫌だ……という気持ちになることもしばしばありました。

そして、先生の中に人として尊敬出来ない人が居たことも大きい要因でした。
大人だけのことならまだよかったのですが、その先生が私の持つクラスの子を無視したり、悪口を言ったりすることもあり、とても心の負担でした。

何とか毎月保育をして、12月。
それまでも、帰りの自転車を漕ぎながらやバスの中で涙が止まらなかったり、家でお酒を飲み始めたらあっという間に瓶1本を空けていたり。「何だか変だなぁ」とは感じていましたが、同時に「まだやれているから大丈夫」とも思っていました。

持ち帰りの仕事をして提出する朝のこと、何故か涙が止まらなくて親に驚かれました。
自転車を漕ぐ足取りがこんなに重くなるのか…と思いつつ、園にやっと着いた所、朝礼でまた涙が止まらなくなってしまいました。
その日はたまたま誕生日会だったので「しっかりお祝いしよう!」と気持ちを作って過ごせましたが、どうにもそれから園でも気持ちが不安定になる時間が出てきて、何か考えようとすると頭にもやがかかったようになっていました。

それまで少しずつ調べていたこともあって、「園での仕事中に影響が出たらすぐ病院に繋がろう」と思っていました。
同僚の先生にいい所を教えてもらい、予約を取れたのは2週間後。
ぼうっとするようになった頭で、何とか毎日定時まで働き、初めての受診を迎えました。


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