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歴史小説「Two of Us」第4章J‐18

割引あり

~細川忠興&ガラシャ珠子夫妻の生涯~
第4章 Foward to〈HINOKUNI〉Country

J‐18

 白百合と胡蝶蘭を調合した、アロマの香り。
 3名が過ごす奥の間の灯籠に落としたそのアロマは、伊達政宗自身が調合し、まだ丹波の水戸野に幽閉されていた頃の細川珠子に、家臣を通じて贈ったものと、同じ香りである。

 細川忠興ガラシャ珠子は、ポツポツと〈大坂の陣〉以降の『ふたり』を語り始めていた。
 忠興は、珠子に関しては極度の『ヤキモチ焼き』ではあるけれど、この盟友政宗にだけは、3人一緒で乱世を抜けて来た同志のように交流している。
 伊達政宗は『伊達男』という言葉を産むほど、人との距離の取り方が洗練されていて、バランス感覚が絶妙で対応してくるため、安心して会わせているのだ。

 自分だけを見つめていて欲しい忠興と、愛だの恋だのなくってもコミュニケーションや見聞を大事にするガラシャ珠子。だからこそ、太平の世にあっては大事に大事に傍に置きたい気持ちを、充分に察して接する政宗

 飛び地領の〈杵築城(大分県)に於いても、変わらずに城代家老のごとく統治に就いている事を、表情豊かにガラシャ珠子が語る。
 忠興は、12年前に同い年友人の山家藩領主の谷衛友(たにもりとも)からの吉報で、歌会の集まりに、生還したガラシャ珠子も同席すると聞いた日から、九州に呼び寄せるまで何度か丹波の雲源寺で逢瀬を重ねて来た事を、話した。

 最終的には杵築城から阿蘇山の麓を通り抜け、現在の熊本空港付近を通り越して、日本海側へ呼び寄せ隠居後の肥後熊本藩八代城下で余生を夫婦で送る事になる。
 だがこの時点では、小倉藩から熊本藩に改易して家督を三男忠利に譲ったばかりで、まだ花畑屋敷に住まいを置いて、別居で繋がっている。
 熊本城の城郭修繕工事の最中に、仙台藩の城代家老の逝去を耳にしたのだった。

 もちろん、対外的には未だ正室(継室)を置かずに、正室珠子は亡くなったとされており、ガラシャ珠子は『側女のお玉』として寄り添っている。
 忙し過ぎる熊本藩家老松井親子の代わりに、杵築城に住まうだけで、古くは大友宗麟の領地だったキリシタンの住む町の和平は保たれていた。


仙台城(青葉城) 夜景

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