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音楽はコミュニケーション/「CODA あいのうた」

こんにちは、Nanaです。

先日、「CODA あいのうた」を鑑賞しました。
アメリカのシアン・ヘダーが監督を務めたフランス映画「エール!」のリメイク作品です。
元作品はタイトルしか存じ上げておらず、完全初見の感想をここに残したいと思います。


"CODA"という言葉の意味をご存知でしょうか?
日本ではあまり馴染みのない言葉だと思います。私も知りませんでした。これは

Children of Deaf Adult/s

の略です。つまり「聾唖者の親を持つ子ども」ということです。1番メジャーな定義としては、親のどちらか一方でも聴覚障害(少し聞こえる場合も含む)がある健聴者のことだそうです。CODAは音声言語より先に手話言語に触れ、身につけることもあり、母語が曖昧な人も多いようです。

主人公ルビーはCODAです。
ルビーの両親,兄は聾唖者で、兄はかろうじて読唇術を身につけているようですが、両親の言語体系は手話と文字言語のようです。そのため、ルビーは幼いころから家族と健聴者とのコミュニケーションを媒介していました。
正直、私はこれまでCODAという存在を知りませんでしたが、CODAとしてのルビーの生活は昨今日本でも聞かれるようになった「ヤングケアラー」そのもので苦しくなりました。家族に障害を抱えている人がいること、その支えをすること自体は決して「可哀想」なことではありません。「可哀想」という視線を向けることが失礼なのは百も承知です。
ですが、本作でも描かれていたように、子どもの頃は特に奇異な視線に晒されてしまったり、音声言語の習得に他の人と差があることで困難感が生じること、周囲の無理解や経済的困難、家族の中での責任と自由の範囲など、大変なことがたくさんあるなと感じました。ヤングケアラーは目標を立てても、まず第一に"努力をするための時間を捻出する努力"をしなければならず、いわゆる"普通の"家庭で育つ子どもよりも大変な状況で取り組まなければなりません。努力をするための努力が必要なことを理解してくれない人はたくさんいます。どこまでが自分の自由なのか学ぶ機会もありません。本作でも家業の手伝いをどこまでがやるべきことで、どこからがやってあげているだけのことなのか、と揺れ動く場面がありましたね。そんな大変な状況で自分の好きなこと、得意なこと、目指したい場所を見つけて、それに向けて努力できるルビーは本当にかっこいいです。そして自分たちではわからない才能をしっかりと認めて、応援し送り出す家族もとてもすごいです。ルビーの才能を見抜いたMr. Vもすごいですよね。やっぱり一流の環境にいた経験は一流を見つける力も備わっているんだなぁと思います。ただ、育てる・教える力というのは全く別物なので、彼自身が言っていたように彼にとって教師こそが天職なんですよね。


ここからはネタバレ多めです!

この映画で人気なシーンは、おそらく無音のコンサートシーンとトラックの上での父娘のシーン、それから最後のオーディションシーンだと思います。
どれも本当に最高ですよね。音楽の美しさ、素晴らしさを、他とは一線を画する方法で見せつけられました。CODAとその家族だからこそのストーリーです。
私は無音シーンよりも前に既に泣き始めていたので、あのシーンでは音を立てないように必死になりながら観ていました。マスクでよかったです、本当に。わからないなりにわかろうとする家族の姿勢に胸を打たれ、他の観客の感動する姿にこちらも感動してしまいした。また、聴力障害が当たり前の話を観ていても、私は本当の意味でその世界をわかろうとしていなかったとハッとさせられました。もちろん、このシーンだけでわかることはほんの一部に過ぎませんですが、こんな世界なのかと少しだけわかったような気がしました。また、このシーンから、音楽はこんなに人に感動を与えるすごい力を持ったものなのだと改めて感じました。やっぱり私も音楽が好きです。
トラックのシーンも同様に、わからないなりにわかろうとする姿勢、音そのものは届かなくてもありのままに伝えようとする姿勢、そしてその2人の間にある何かにグッときました。声の届かないたった1人に向けて歌う歌は、コンサートでの歌とは違うものでした。全てが美しくて"大切"を感じました。音として届かなくても、音楽は誰かのためを思うときに強いパワーを持つと改めてわかりました。わかろうとするお父さんの姿にもすごく胸を打たれますよね。伝えることと同じくらい、受け取ろうとする姿勢にも人が表れるのだと感じて、コミュニケーションの本質を見せれられたような気がします。
それから最後のオーディションシーンは、この上2つのシーンで感じた良さをまとめたような場面ですよね。V先生の弾き間違えたことにする愛も、むず痒いほどに素敵です。手話を付けて歌うことで、家族に伝える気持ちがまっすぐに伝わってきて、やっぱり音楽の本質は伝達なのだと感じました。なによりルビーの歌が上手くて人を感動させる力があります。手話もできて歌も歌えて演技もできる彼女の才能に脱帽です。

登場人物の関係性も好きでした。
CODAのルビー以外は全員聾啞者の家族。支援者と被支援者の関係ではなく、家族という要素が大きくて幸せな気持ちになりました。
きょうだいの関係性とても良いですよね。私にあのお兄ちゃんがいたら、めちゃめちゃ泣かされている自信がありますが、軽口をたたき合える関係は良いと思います。きょうだいのコミュニケーションは発達に大きな影響を与えるので、聾啞者と健聴者であっても、きちんとそれができる関係を築いているのはとても大事なことです。
私はお母さんのルビーが生まれたとき、不安だったお話が大好きです。あれを正直に話せる関係になったのが最高に素敵です。そりゃ不安ですよね。健聴者であれば、自分たちとは違う経験をするし、違う苦労をするに違いない、ましてや迷惑もかけてしまうかもしれないと思うと不安でいっぱいになるのが当然です。誰しもが抱える不安をありのままに吐露してくれるあのシーンが大好きです。

全体を通して、性的な描写がとても多かったのが印象的です。
正直に言うと、私は性的な描写がとても苦手で、好きじゃないので、うーんと思ってしまった部分もあります。少なくとも日本の家族であのようにオープンに話すことはまずないので、こんなにいるかな?と思ってしまいました。家族だけならまだしも、お友達まで性に奔放な必要ありました…?
この映画を24時間テレビみたいな障害者を利用した感動モノにしないために、あえて低俗にして、当たり前の物語だと印象づけていたのかもしれません。その心意気は最高に好きです。ちょっと私には刺激的過ぎましたが、必要だったと言われても多少納得がいきます。


歌も、映像も、物語も、登場人物も。
どれをとっても素敵な作品でした。
聾啞者の登場人物は、すべて同じ障害を持つキャストが演じたことも素晴らしいことです。


手話を第一言語とする人たちが、発話言語を第一言語とする人たちと同じように生きられますように。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
Nana

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ケーキが食べたいです。今はモンブランが食べたい気分。