幸せにならなかったけど不孝ではないのよ
長く生きていると本当にいろいろな
ことがあって、そこをいちいちジャッジしてられないので
ある程度ひと塊りで『良かった悪かった』をジャッジせざるを得ない。
そしてそれらをいちいち反省する時に
6:4で良かったことが多かったと
判断するのが正解なのではないかなと思うんだけど
だからといって幸せとは言い難いし
でも不孝ではないよなー
なーんて思うんですよ。
そして人は『ないものねだり』なので
自分より幸せそうな顔をしてる人を
無条件で羨ましいと思うらしい。
最近お客さんとそんな会話をすることが多くなってきて
やっぱり50歳前後の女性は
そんな微妙な立ち位置にいるんだなと実感します。
若い時の人生の正解は
割と簡単だったなぁーと
思うんですが
この歳になると、どれも正解じゃないというか、何が正解なのか
分からなくなる(笑)
結婚したかった人、結婚できなかった人、離婚したかった人、離婚した人、子どもが欲しかった人、子どもがいて苦労した人、仕事したかった人、仕事を辞めたかった人、仕事を辞めた人。
それに加えて最近では
お客さんのお子さんも結婚し始めたので『嫁・姑』問題も勃発する。
シングルマザーが増えて
女性の生き方も多様になってくると
姑の立ち位置も多様化するのだ。
コレけっこうな大問題なのであるが
まだ皆んな気がついてない(笑)
可愛がってた息子が嫁の味方になって
私から離れていく…
そのことにショックを受けている
人がどんどん増えている印象です。
令和の時代では人生の後半も
しっかりとした自分の居場所を
確保しなければ
『こんなはずではなかった』と
ガッカリすることになってしまう。
自立した年寄りにならなければ
人生の後半戦の幸せを確保できないのである。
今までもそうだったのかも
しれないけど
いよいよ自分たちもその年代に
到達したのである!
結局、自分の人生の責任は
誰でもなく自分が負わなければ
ならないんだなぁーという
いたって当たり前の結論を
ヒシヒシと感じることになったので
ある。
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