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Lilac杯俳句:勝手に七田賞

Lilac杯…3月末からノートをお休みしていた私にとって、締め切り直前スレスレ参加になってしまい、埴輪のようになっておりました。
こんな私に今更ながら出来る事は…これしかない!!
ということで、勝手に七田賞を出させていただきます:)

復帰直後これがノートを開くのが3回目という事で、どんなに仲の良いお友達でも、応募俳句をお伺いしておりません!!!
以前の大会で審査員をご一緒されてもらった方々の作品もどれか分からない状態でのブラインドで選ばせていただきました

コメントを一通り書いてからリンクを張るので、作者様方を知らずにコメントしております。
また、記事を読んでいない為 解説が本来の作者様の意図と異なることがあると思いますが、私の感性という事で受け取って頂ければと思います:)

今回の七田賞もいつも通り、私の「好き!」が基準ではありますが、
今回は私自身の気持ちの持ちようが、ふんわりしているんです:)ふふふ。
深読みというより、イメージを春色に彩っている素直な作品を選びたくなりました:)


七田賞は全29句です:)
29句の中から、

【 特別賞 】+【 七田三賞 】


最後に選ばせていただきました
特別賞+七田三賞に入っていなくとも

七田賞の賞状があるので

最後にお受け取りいただければ嬉しいです:)

では!!



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(最新投稿順)


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396.年輪の刻む吾が手に春日射さす

勿論年輪は樹木に刻まれるもので、手には刻まれることはない。けれど、誰が読んでも、これが「年齢が重ねられた手」であると分かるだろう。しみじみと自分の手を見つめ、掴んできたもの・失ってきたもの…沢山の物や事を触れてきた年老いた手に、そっと暖かな春の光が舞い降りてくる、そんな情景。
それは「今まで」を包んでくれると同時に、「これから」を示してくれているかのように私には感じられるのだ。言葉を発することなく、そっとその光を握る様に手のひらを閉じてゆく…「ありがとう」そして「大丈夫」。春の優しさを見事に私たちの人生に寄り添わせてくれた素敵なご句である。

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389.灰皿にポトリと落とす穀雨かな

穀雨:二十四節気の一つで、4月20日から5月5日くらいまでの時期の事。俳句では、たまに「雨」そのものと詠む方もいる。が、私はそれを本来の意味のまま「時期」として読んだ。これは個人的な見解になってしまうのだが、この時期…空がどんよりとしているうちに春が終わってしまうような気がするのである。穀雨は、そのままの通り穀物の恵みとなる雨から来ている…が、私にとっては「また雨か…」的な存在でしかなく、雨が上がったと思うと、気づかないうちに外は夏への移行をし始めているのである。その様は「呆気にとられるくらい」だ。まるで、驚きに時間だけが流れるうちに煙草の灰がぽとっと自ら灰皿に落ちる様な…。あ…れ?春…おわっちゃった…の?恵みの雨に無理をして感謝や恩を乗せるのではなく、私たちが普段感じる様な、「知らない間に過ごしちゃったよ」な「雨感」を上手に俳句に仕上げてくれた作品である。

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367.日常の景色揺れるの汽車のせい

無季語のこの句。「春」とはどこにも書いていないにも関わらず、「春の心の在り方」が映し出されていると私は感じてならない。ガタゴトと進む汽車(電車)の窓にこつんと額を当てながら外を眺めると、桜が風に吹かれてひらひらと舞うその様がゆらゆらと揺れるように見えるように。それを目にしながら、日常生活の中で起こっている沢山の事柄を思い描く。恋をしている視線や、春の陽気にうとうとしてしまう事も…「春の揺れ」を「汽車のせい」と…まさに、「春だから」という言葉に句全体が導いてくれている様に感じられ、読んだだけで春を満喫できてしまうように思える、そんな素敵な作品である。

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342.去った子を繰り返し思うこどもの日

子供の日と聞くと、こいのぼりに子供達がチャンバラをする声など、子供の姿を想像する事であろう。このご句は、そんな子供を見つめる親の「こどもの日」である。今まで祝ってきた数々の「子供の日」。もう子供の声は聞こえてこずとも、子供の日はそっとそこにあって、目を閉じれば幼い頃の子供達の思い出がよみがえり、あんなこともあったな…とクスリと笑みをこぼす時間となるのである。思い出で溢れる一日ではなく、自らの意志をもって繰り返し繰り返し、映像を脳内で再生する、そんな親の子を想う優しさも愛しさが溢れている。今は遠くにいる子は元気にやっているのだろうか?思い出と同時に、心配も願いも…「繰り返し思う」にぎゅっと詰まっている、そんな優しい愛の溢れた作品である。

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337.木蓮の花や胎児のふくらみぬ

木蓮の花のつぼみを見たことがあるだろうか?木蓮の花弁は厚みがあり、しっとりした滑らかなものである。それがぎゅっと固くつぼんでいる時から、柔らかさを感じられることが出来る。それが開花すると花弁の一つ一つの間に春が流れ込むようなふんわりした見事な天と地を結ぶ蓮の花となる。
余談ではあるが、私の一番好きな花は「白木蓮」だ。毎年私はとある一本の木に足を運び写真を撮り続けている程好きなのだ。木蓮の花の特徴を見事に胎児に重ね合わせ、その開花の仕方も 花の持ち合わせた優しさも全てを運んでくれたご句である。私の中では、この句の木蓮は、木蓮と白木蓮の間にある、うっすらとピンク色を帯びる「更紗木蓮」のイメージだ。木蓮と春の、そして母親の優しさをほんのりと届けてくれた作品である。

PS; 木蓮が好きなお方は、是非「うみねこ」第二刊をお買い求めいただければと思います:)私の作品を読んでいただければ…ふっふっふ。内容は買った人だけのお楽しみ。(笑)

↓こちらは進行中の「ウミネコ」。No2で私も出させていただきます。(ちょっと宣伝。。。(笑))

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327.殺し屋のコスプレのまま抱く子猫

殺し屋に子猫…何とも斬新な組み合わせである。コスプレではあるものの、見た目は多分ダイナミックなダークなものに違いない。そんな人が子猫を見つけ歩み寄り、そっと抱き寄せて笑う姿を私は描いた。外見と内面のギャップの間に優しい春風が吹き込む様で思わず笑みがこぼれる一句。道行く人からは、白い目で見られるこの人物が唯一 震える子猫に手を差し伸べたのかもしれない。子猫にしてみれば、無視して通り過ぎる人たちが殺し屋に見えるのかもしれない。描写にギャップがあるのにも関わらず、とにかく優しいご句である。後ろで春風に舞う桜。。。殺し屋に桜の花びらも良く似合うではないか。また、同じ詠み人様の作品328.命日の縁側の日の永くあり こちらも私は好きだ。私の父の命日が4・29日というのもあって、色々想いを乗せて読ませていただいた、想いを馳せることの出来るご句である。

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295.誰彼の片便りかな石鹸玉


石鹸玉と書いてシャボン玉。このご句を読んで、私が想像した石鹸玉は子供が吹いたものがどこからか飛んできたものではなく、キッチンで・洗濯場で、ぽこっと拍子に出来たまさに石鹸からの玉。「誰彼の」という不定称の人代名詞が使われている事に私はうなってしまったご句だ。少し人ごとの様な雰囲気も醸し出されているのが、ものすごく面白みを引き出している。この誰彼ありきの、私の石鹸玉の見方があるのだ。ふいに生まれた石鹸玉を見て、あっ。。。と思う、そんな感じだ。拍子で生まれた石鹸玉に一方通行の「片便り」を連想する。誰でも一度は、ふとあるものを目にして、何かのサインかな?と心の中で思うことがあると思う。このご句に続くものがあるとすれば、「元気かな思いを馳せて取る受話器」(川柳…(笑))。石鹸玉の七色に輝く様子が「誰彼」を巡る思想にもとれる素敵なご句だ。

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287.五十路とてたんぽぽ色の春セーター

歳を重ねる事に彩を加えてくれる作品。私事で申し訳ないが、私自身40を超えたいわゆる「中年」である。子育ても一段落して鏡を覗くと、今まで感じなかった年を感じるようになるお年頃だ。もしこれが、単なる色のセーターであればどうだろう…五十路とてオレンジ色の春セーター。。。ただ単にオレンジのセーターを着ている人物の情景鹿浮かばない。「たんぽぽ色」であるからこそ、感じられない「春」に「上を向く気持ち」がそこにあり、一気に息を吸い込みたくなるような気分にしてくれるのだ。そこには、ただの情景だけではなく、五十路の「在り方」が織り込まれている。50代も40代も、自分に優しく思い切り春色に染まろうと、元気をくれる作品なのだ。鏡を覗き込んだ時に映る自分の笑いジワが愛おしく思えるような、春色を味方につけた「これからの五十路」を春風に舞わせくれた素敵な一句である。

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261.かくれんぼ「もういいよー」と三一一

3・11。日本人であればこの日はぜったに忘れることはないだろう。今もなお愛おしい人を想う事しか出来ないでいる人たちがどれほどいるだろうか…。日本のニュース記事で、震災後 ダイビングの資格を取り今もなお帰ってこない妻を探しに海に潜り続けている男性の記事を読んだばかりである。それは時間制限のない「かくれんぼ」。「もういいよー」この呼びかけは隠れている者のものなのか、それとも、探している者のものなのか。。。私には、「もういいよー、でておいでー」…そう、聞こえるのだ。春の穏やかな光を見つめながら、探す者達の想いがそっと手に取れるような、少し眉が寄ってしまう悲しさもあれど、そこにはこの特別な日を見守ることのできる優しさが沢山詰まっているのである。

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255.
うららかや猫のあくびがうつる午後

とてつもなく柔らかい日差し。誰もが欠伸あくびをこらえきれない程の春日和が、「うららか」と「猫のあくび」のセットでどこまでののどかな午後を見せてくれている作品だ。この作品の面白みはあくびをうつす者が「猫」であるという事。縁側で寝そべりながら大あくびをする猫に、呑気だなと呆れかえる自分も大あくび。全体を通して、春の陽気に春ののどかなひと時を届けてくれている。大きなツイストがあるわけではないのだが、春感でぎっしり詰まった一句になっている。この作品を読んで、パソコンに向かう自分も大きく上に背伸びをして、ふと考えて…珈琲いれよっと、と一休みを挟んでしまうくらいに春ののんびりペースを分けてくれる、そんな春日和な喉かな作品だ。

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232.唇に言葉あふれて桜貝

まるで桜の花弁の様な桜貝。可憐なイメージがあるこの桜貝を中で切った「唇に言葉溢れて」と見事につなげているご句。桜貝の表面にはとても薄い膜があり、この膜に虹色の光沢がある。それを想像するだけでも「唇」の艶やほんのりとした色がイメージできるはずだ。
その光沢と色彩を繋げた「唇」から溢れ出る言葉達も春色に見事に染まっている様に感じないだろうか。それがどんな言葉であるのか、読み手が様々な想像を描くことが出来るのである。多分大半の読み手が可憐な女性を思い描くことであろう。吐息にも似た桜色の言葉達をあなたはどう耳にするのだろうか。春色に恋色、乙女色を見事に醸し出した作品である。
と、自らここまで書いて…もしかしてこの句は…!!思い当たる節があるのは、リンクを張るまでお楽しみにしておこうと思う。(笑)

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206.泣き濡れて矩形の春のぽわんぽわ

矩形とは長方形の事である。このご句の矩形は多分窓の事であろう。理由は何であれ、部屋の中で泣き崩れている中、ふと窓の外を眺めると、そこにはまるで絵画のように春が切り取られて飾られている情景が浮かぶ。泣いている自分でも思わずひくつきながらも、じっと窓に描かれた春を見入ってしまうに違いない。「ぽわんぽわ」この表現がどこにかかるのかは読み手次第だとは思うのだが、私は「泣き崩れた私」にも「矩形の春」にもかかる様に思えるのだ。窓の外の光景に心がぽわっとするような気分でもあり、涙で霞む瞳に映る光景がぽわんと歪んで見えるようにもとれないだろうか。こんもりと咲いた桜が映っているのならば、霞んだ瞳にはぽんわりと一つの柔らかい塊にも見えてくるはずだ。ご句全体に漫画で描かれるようなぽんわりな円がいくつもポコポコみえて来る、そんな春の柔らかさを届けてくれた作品だ。また、同詠み人方の205.百千鳥洗濯板の波間ゆく も洗濯板と百千鳥の間に波間を描くという素晴らしい作品だと感じた。

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199.春雷や自己決定の幸福論

春雷とは、春の訪れを告げるかみなりの事である。が、私はこのご句にとてつもない面白みを読んでしまったのだ。(ただの読み間違えで二度おいしいという。)
まず本来通りの「春雷しゅんらい」。春雷は夏の雷ほどに激しいものではなく、土の下に眠る蛙や生き物たちを起こすような目覚ましの様な雷である。雷のようにアイディアが落ちてくるというイメージよりも、鈴が鳴る様な優しいひらめき。そこには「幸福論」という柔らかな「おちてくる・ひらめく」ものが記されているからである。ふと、あっ、こうしよう。と口角を上げて思いつけるそんな素敵なご句である。
また、海外長すぎな私が間違えて読んだ「春蕾はるつぼみ」だ。(笑)読み直したら、これはもしかしたらつぼみかも知れない!と辞書で調べてしまった私である。申し訳ない。
春に木々がつける蕾が自ら咲く時期を決める…自分の幸福の時を知るという意味で、読むと…春蕾自己決定の幸福論。。。。も案外ありかもしれない。素敵な一句だ。

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184.一人呑むクラフトコーラと春の月

クラフトソーダを飲んだことがあるだろうか?私はよくクラフト・ルートビア(ドクターペッパーの様なソーダ)を頂く。クラフトソーダは通常、炭酸の量が少なく、少し変わった味がする。ルードビアは尚更なのだが、薬の味の様な、スパイスとは言い難い何とも言えない後味がするのだ。美味しいかと言われたら…これまた何とも言えない。ただ、市販のソーダを基準にしている自分の舌が化学調味料に侵されているだけなのかもしれない。どちらにせよ、この作品にその味を乗せているのところが乙なのである。クラフトビールだったら醸し出せない「何とも言えぬ感情」をクラフトコーラでうまく引き出しているのである。春の月をどう描くのか…これまたクラフトコーラの謎めいた味にすべて託されている様で、クラフトソーダを飲んだことがある人であったら、必ずこのご句の乙さが手に取る様に分かるであろう。

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176.待ち人をあきらめ歩く春の海

いくら待てど待ち人が来ない…シチュエーション的には少し寂し気な物である。諦め詩を踏み出したその先にあるのが「春の海」であることで、一気にこの作品が希望に満ちてくるのである。春の海は何処までも穏やかで水面に日差しが反射して、キラキラときらめく様な海なのだ。待ち合わせの場所に背を向けて歩き出した人物の「あきらめ」は決して涙に溺れる様なものではないと感じられる。むしろ、前を向いて歩き出したその先に、輝く幸せが待ち受けている様にも感じられるのだ。春の穏やかさと、芽吹きの希望を転機を用いて一つの人生の中で繋がれる線を描き出してくれた素敵な句である。

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171.薔薇の芽や舌にころがす金平糖

上五で切れているご句である。つながりが非常に素敵だと感じる甘すぎない春の息吹をぽんと感じるものだ。薔薇の芽に、口の中で転がる金平糖。薔薇の息吹を見ながら、あらっ?!と金平糖を食べながら観察しているのだろうか。ただその情景を描いたのだけなのかもしれないが、私は金平糖の形が薔薇の棘にどことなく重なって、口の中で溶けてゆくその突起が、薔薇を目にし次第にまぁるく角をなくしてゆく、そんな心情に汲み取れたのだ。ころころと転がる金平糖の感覚も、まさに薔薇の芽を見つけた時の「あらっ!」感に似通る所があって非常に面白い。薔薇と漢字で詠うと花の濃さが増し、ホンワカな感覚が薄れる、だが、金平糖を持ってきたことで、薔薇の高貴な感じが息吹くかわいらしさへと繋がっているのである。薔薇で春を詠う難しさを見事に春色に染め上げた作品である。

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164.少年はペダル踏み込む春疾風

これを読んで、「ぶんっ・ぎゅん」という音が聞こえては来ないだろうか?春日和に倉庫にある自転車を出し、またがり、おもむろに前を見据えてニカっと笑えば、エンジンは全開である。新しい学年がはじまるのか、学校を変えたのか…春休みがはじまったのか。。。自転車の漕ぎ手が「少年」であるからこそ、様々な想像を膨らませることが出来る。「疾風」という強めの言葉にすっぽりと落ち着く「少年」の組み合わせが絶妙である。踏み込むで切れているのだが、春疾風がこの少年の起こすものだとすぐに関連性を生み出すことが出来ると同時に、上記した「音」までもが聞こえて来るのである。私の想像を延長すると、土手の上を白い歯を思い切り見せながら笑い、猛スピードで「よっしゃー!」といって漕ぐ少年の姿が目に浮かぶのだ。若い春…清々しい作品である。

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150.やはらかな春を宿したひと雫

春の雨は悲しくはない。柔らかで滑らかな包み込むような雨なのである。
その雫もまた、その柔らか味をそのままに地から顔を出す草木をつるりと撫でながら、「ぐんと育て」と地に落ちてゆく。一滴にまるで春という季節からの愛が籠る様な素敵な作品である。我が身に降ろうとも、草木に降ろうとも、両手を広げながら雫を一身に受けたくなる春の雨を見事に描いてくれていると感じるのである。「春が宿る」という表現が、一粒一粒への愛おしさに聞こえては来ないだろうか?
春の雨が、恵みの雨と言われるその背景をくっきりと13文字に埋め込み届けてくれた春の雫の優しさあふれた素敵な一句である。

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142.桜餅いちご大福花霞

このご句は、桜餅・苺大福・花霞この3つを並べただけのものである。にも関わらず、私はとても好きなのだ。これでもかぁーと言う程のピンクに春が詰まっている。これはコンビニで春限定のチョコレートを見つけた時の気持ちや、スターバックスの季節限定Sakuraシリーズを手にした時と全く同じ感覚である。 柏餅あやめ団子に花霞…全く持って響かない。これは桜色を思う存分散りばめた、春だからこその作品なのだと私は思わずにはいられない。口にしただけで春が口の中に広がる様なそんな一句である。

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139.月朧シュレディンガーの猫ゆらり

「月朧」に「シュレディンガーの猫」の組み合わせに、私自身の口があんぐりと空いてしまった作品だ。シュレディンガーの猫。。。一度は耳にしたことのある言葉であると思う。量子力学の思考実験の事であるが、その実験の意味を把握できずに疑問を持ち続けている人は沢山いると思う。ここではこの実感について長々と説明はしないが、量子力学において、「観測をするまで物事の状態は確定しない」という考え方を説明する実験である。半分の確率で箱の中の猫が生きている・死んでいる状態で、箱を開けるまではその状態は確定しないということだ。これにはアインシュタインも一理関わっている、面白いいきさつがあるのだ。簡単に言ってしまえばまさに「月朧」なのである。ぼんやりと確定しない・分からない・掴めない状態がある事。箱を開けるまで、猫は死んでいる状態と生きている状態のどちらでもある。この奇妙な実験のもら洩らした部分を見事に月朧にみいだして、「ゆらり」と狭間を思わせる表現でおさめているこの一句は、すごいとしか私には言いようがない。あっぱれな作品だ。

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115.春の闇おれのメンタルきぬどうふ

闇という強い言葉が描かれているにもかかわらず、「暗い」というイメージは出てこない。むしろ、「あちゃー…」と苦笑いが出て来るような、「ったく」と息を洩らすようなそんな春の1シーンをちょっぴり落胆に乗せて届けてくれた可愛らしい作品だ。これにたいしては、
『春だからどうにかなるわよ麻婆豆腐』
と返したい。(笑)。春の闇としたことで、ほんのり闇が暖かな色合いを帯びている。メンタルが絹豆腐とは…この表現に座布団を20枚差し上げたいくらいである。このご句を読むと、何故か母親心がくすぐられるような、私の家族が詠んだものならくすっと笑いながら、「絹豆腐でしか作れない料理もあるのよ」と励ましたくなるくらいの、「どうにかなるさ」な春の力を借りられる気持ちになる、そんな素敵な作品だ。

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106.信夫野星霜ふりて桃源郷

無季語…だと思う。のだが、どう見ても春の色しか見えてこない不思議な作品である。星霜とは、年月の事であるし、桃源郷とは いわゆるユートピアの事である。信夫野は検索した結果、福島県の現在の福島市辺りである。こうしてみると、春とはどこにも書いていない事が一層よく分かるであろう。しかしながら、春の花が満開である情景が浮かぶ。福島県へ春に訪れたことはないのだが、多分山々に沢山の花が咲き誇っているのではないだろうかと連想させられるこのご句。「桃源郷」という言葉自体に春色が詰まっているせいなのかもしれない。私は何処がどうこうというよりも、響きが美しく「春めいた」感じが好きなのである。「を経て」ではなく「ふりて」この表現にも目くるめく歳月の循環が染み出ている様で、季節の移り変わりを「星霜」本来の「星は1年に天を1周し、霜は毎年降る」の意味を美しく引き出している作品だと思うのだ。

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99.やはらかく読経を包み風光る

春とて、芽生えるものだけではない。消えゆく命だってあるものだ。それでも春は柔らかく命を包み込んでくれる不思議な季節なのである。
読経が淡々と流れるのが、まるで音符になって目に見えるかのように。それを優しく包み込む「春風」が、キラキラと光りながら命をすぅーっと運んでくれるように読めるのだ。春という季節の優しさと柔らかさで、読経という言葉をもって「命」を包み込む。。。哀しみだけに溢れる事のない命の行方を、そっと届けてくれる。。。そんな素敵な作品である。
消えた命もまた、春風に吹かれて旅に出る事を嬉しく思うような、そんな人物であったのだと思わずにはいられない。感じる者の視点から、おもわれるものの人物像までもが手に取れるような、春の優しさが詰まった一句である。

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80.鞦韆をこいで始まる物語

ふと腰かけたブランコを、キーコーキーコと前後に揺らす。微かに感じる春風にリズムを刻む様に、次第に地面をける足がつま先になり、そのうち両手で鎖を握りしめて思い切り風を感じるように漕ぎだす。そっとちょっとの一押しが、大きな飛躍のストーリーに繋がって行く。そんな「始まり」の瞬間をとらえた作品である。何がどこから生み出されるのか、そんなものは分からないが、最初の一歩を踏み出すことで、高く高く舞い上がることができる事を、このご句はそっと読み手に届けてくれているのだ。我々の作り上げる物語は、実はあちこちにその起点が散らばっており、それはさびれた公園のブランコに出さえあるものだと。一年の始まりである春という季節を見事に人生のスタートラインとして見せてくれた素敵な作品である。

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75.春の蚊をじっと眺めて日が暮れる

蚊を知らぬ人はいないだろう。蚊に出くわせば誰しも目が吊り上がるはずである。が、このご句の蚊は「春の蚊」なのである。何故にこの季節にいるのだろうか?と一瞬時が止まってしまうような気もする。季節外れの蚊を前に、その蚊を仕留めるための両手は翳されることはなく、むしろ「なにやってんだお前?」と問いかけてしまう事であろう。疑問に思いながらも一匹の蚊を目で追いかけて、どこへ行くのかじっと観察をするのである。そんなこんなしているうちに、あっという間に日が暮れて、「まぁ達者にな」とにっくき蚊を見守る言葉さえもかけるのだろうか。季節外れのためなのか、春という季節のせいなのか、いつもの釣り目が現れる事も無しに、ゆっくりと時間を過ごすそんな春だからこその一頁を見事に描いてくれている作品である。

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68.音程の外れし歌よ春の空

春の陽気とは何とも言えない力があるのではと、個人的にそう思っている。外に一歩踏み出すだけで気分が上がるのだ。その上、歩調に合わせて体の内側から音が溢れだす。とんちんかんな唄であっても、存在しないリズムでも、鼻先から出す鼻歌でも、音程が外れた歌でさえも…気にすることなく春の温かさに放出できる、そんな季節なのである。少しくらいずれたって、体の中から溢れだす音を口ずさむ自分を少しばかり好きになる。そんな春気分がじんわりと染み出てくる一句だ。この句の意味が分からないという人は一度外に行って歌を口ずさんででもらいたい。この一句の魅力がどばっと体中に流れ込んでくるはずだ。それは、ブランコを漕ぎだすあの感覚にも似ている素敵な春ならではの感覚なのである。春の陽気が私たちに掛ける魔法を見事に描き出した一句である。

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48.菜の花や冷蔵庫にて咲きにけり

春が家の中で起こった瞬間である。読んだ瞬間に、「あーー!!あるある!」となるはずである。花の黄色が見え隠れしている時に購入した菜の花が見事に寒かろう冷蔵庫の中で開花して、食べるのにも唸りながら、コップに入れて食卓の上に飾ってしまうくらいに咲いてしまう。これは「あぁ春だ」ではない。まさに、「ありゃ~、春っちゃったな…」なのだ。(笑)
外の春は詠みやすい。散歩をするとぽんぽこ浮かぶが、家の中…特に冷蔵庫という春からはかけ離れた場所に見事に花を咲かせ春を見出してくれたこの作品は、笑いありなお茶目な一句である。この句を読んだ後に、どうやってトイレに春を咲かせようか、私は数分考えてしまったくらいにお茶目さに持って行かれてしまった作品であった。

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9.特に言うことはないけど春ですね

これは、私も言うことがない。もう「春」そのままのドンピシャな作品である。「特に言うことはないけど」でも、吐息と共に口から洩れてしまう「春ですねぇ~」。そこから続くいう者と言われる者の関係性を想像するだけでほっこりするのだ。「春ですね」見知らぬ人が呟くと、その人が見ている先を追いながら、「春、ですねー」、同じ方向性をもって同じ時間を共にする関係を一瞬にして築けてしまう「魔法の春言葉」そのものなのだ。
「特にいう事~」ここがまさにミソである。今まで話しかけられなかった相手でも、話す事が見つからない息が詰まる様な状況でも、どんなものでも好転できてしまうのだ。それをまさにそのまま13文字に置き換えている、春の中の春な作品であると言えるだろう。

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4.重力に抗い 巣立鳥よ 飛べ

のほほんと、柔らかくが多い春のイメージの中で、力強く、生命力にも似た春を描いた作品である。ふと空に飛んで行く巣立ち鳥ではなく、空に飛躍する姿の懸命さや、鳥たちの大きな壁を見事に届けてくれているのだ。「抗い」とすることで、決心や飛ぶ事への力をぐんと引き出しているのである。
我々人間の目から見れば、ハラハラドキドキで見守りながら、飛び立った時には、鳥が消えゆく空をぼんやりと眺めながら「良かったね」と会話を交わす程度である。が、小鳥からしてみれば大きな一歩であり、人生の中で忘れられない一瞬であり大きな決断・そして運命を左右する時なのである。小さな体に宿る生命力を力ずよく届けてくれた春の命の強さを感じる作品であると感じるのだ。





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ここから、七田賞、特別賞そして七田三賞です。


【七田賞】

七田に選ばれし全29句のご句達を詠まれた全ての歌人様へ
どうぞ賞状をお持ち帰りください:)

おめでとうございます



●【特別賞】

115.春の闇おれのメンタルきぬどうふ ー肉と切り身の小さな帝国殿

歌人様は笑えない状況かも知れないのですが、私はほっこり微笑ませていただいて、本当に「春大丈夫」と笑い合いたくなるそんな素敵なご句でした:)
賞状をお受け取り下さい:)

おめでとうございます



○【七田銀賞】

295.誰彼の片便りかな石鹸玉 ーしろとも殿

春の一頁。七色の石鹸玉に乗せてふと思いを馳せる、そんな素敵なひと時を届けて頂きました:)

おめでとうございます



〇【七田金賞】

9.特に言うことはないけど春ですね ーおはようよねちゃん殿

もういう事なしの「春」そのもの。これはドンピシャ春すぎて、くすっと笑いながら、思わず「うん、春ですねぇ~」呟かされました:)

おめでとうございます



そして。。。


👑【七田大金賞】

99.やはらかく読経を包み風光る ーあぷりこっと殿

季語である「風光る」を、季語そのもの以上にきらめかせ、意味を持たせてくれた素晴らしい一句でした:)

おめでとうございます



以上、七田賞でした。
締め切り直前にノートに復帰して、ライラック杯何一つお手伝い出来ずに
マコトに申し訳ありませんでした。
七田賞。。。せめて私が出来る事になってしまいましたが、
私も楽しませていただきました。
申しました通り、まだ今やっと誰が書いたか投稿記事を知ったばかりでして
好きを一個もつけていないので、徐々にお伺いいたします。

運営人の皆様お疲れさまでした。
歌人の皆様、素敵なご句を読ませてくださり心よりお礼申し上げます。

七田 苗子

ps:皆様も是非「勝手に賞」を出して自分の好きを歌人様に届けてみてください:):)↓↓↓

#ライラック杯
#勝手に賞
#ありがとう

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