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#3 不妊治療記 休職する決断

夫の精索静脈瘤手術


3時間ほどで精索静脈瘤の手術が終わった夫は、日帰りで病院がある恵比寿から帰って来た。
術後は股を押さえて歩いていて、さすがに痛そうだったが、
夜はご飯も食べれたし、翌日は日曜日だったので家で休むことができた。
そして次の日は何事もなかったように出勤した。

その後の精子検査で、日を追うごとに精子の数や運動量は増えていき、3ヶ月後には、通常の数値にまで戻った。
夫はどんどん良くなる精子の検査結果を見て、テストでいい点とった時みたいにうれしそうだった。

夫の精子の値が良くなったので、その次の月からは人工授精にステップアップすることにした。

人工授精、卵巣嚢腫の手術へ


人工授精は3回ほどしたが、なかなか子どもには恵まれなかった。
人工授精自体は金銭的にも通院回数的にも体外受精ほどの負担は少ないが、
それでも排卵日に合わせ、仕事に都合をつけて通院するのは楽ではなかった。

そうこうしているうちに、私の卵巣嚢腫(チョコレート嚢腫)も5センチくらいまで大きくなってしまっていた。
左右の卵巣に嚢腫ができていたが、特に右側は大きく、主治医の先生と相談し、手術で摘出することにした。

ちょうど人工授精にも限界を感じていたので、卵巣嚢腫を取り除いてから体外受精にステップアップすることに決めた。

主治医に卵巣嚢腫摘出術が可能な病院を紹介してもらい、大学病院で手術を受けることになった。

すぐに手術できると思っていたのだが、最短でも手術日はなんと半年後!!!
え!
たかが半年、でも、長いなー。

まー、あせってもしょうがない!
この半年間は人工授精をしながら待つことにした。

休職する決断


そして、卵巣嚢腫摘出の手術に合わせて、仕事も1年間休職させてもらうことにした。

入院自体は1週間ほどなので、本来ならばその期間だけ休職すれば良かったのだが、あえて休職しようと決めた理由は3つだ。

1つ目は、体外受精と仕事を両立するのが難しいと思ったから。
私は普段教員として働いている。
体外受精のスケジュールを調べてみると、排卵日に合わせ、
通院しなければいけない回数が多く、色々な調整をしながら早退したりお休みしたりすることを考えると、仕事と両立するのは私には困難なことのように思えた。

2つ目は、精神的、体力的に限界で、少しお休みしたかったから。
当時は残業が多く、21時くらいまで仕事をすることもあった。土曜日持ち帰りの仕事をしたりしていて、なかなか休める時がなかった。
とにかく余裕が欲しかった。

そして、どうせ体外受精するならできる限りのことをやりたかった。
仕事のストレスを取り除くことが不妊治療にもいい影響を及ぼすような気がしていた。

3つ目は、不妊治療に専念したいが、できれば退職はしたくなかった。
私が不妊治療をしていた当時はまだ不妊治療は保険適用ではなく、
1回体外受精を行うたびに高額な治療費がかかっていたため、
金銭的な不安があったし、そう何回もできるものではなかった。
(ある程度まとまったお金を貯めていたけど、治療を始めたら一瞬で数10万がどんどん吹っ飛んでいった)

1年間は不妊治療に専念しやれることをやって、
たとえうまくいかなかったとしてもまた働ける場所があることが、
高額な治療をする上での安心材料になった。

不妊治療をしていることは職場の上司や同僚に言っていたし、思い切って休んだことは本当によかったと思う。のんびりした気持ちで不妊治療に取り組めた。

そして私のわがままを「ゆっくり休んでね」と受け入れてくださった職場には
感謝しかない。
もちろんお給料は全く出ないのだけど、体の余裕と共に心の余裕も手に入れることができたことは大きかった。

私の職場では不妊治療で休職するのは前例がなく、私が初めてだったそうだ。
これは後日談だが、私に続いて翌年に1名、さらに次の年にもう1名不妊治療で休職することになったそうだ。そして1人は休職中に子どもに恵まれ、現在1児の母だ。もう1名は仕事を続けながら不妊治療を頑張っている。

私みたいに職場で公に「不妊治療しているんですがなかなか子どもができなくて」と言える人はそう多くないと思う。
しかし人には言えずとも、悩んでいる人はとても身近にいるのだ。

もちろん、休職なんてしなくても不妊治療ができる職場が理想ではある。
ゆくゆくは、いや、今すぐそうなって欲しい。

でも、「不妊治療をしたいから退職しなければならない」という選択肢の前に
「休職する」という選択肢があるのも大事だと思う。

それぞれの人ができる限りストレスを感じることなく不妊治療ができる世の中になるよう、男性、女性、既婚、未婚、年齢に関わらず不妊治療に対しての理解がもっともっと進んでいったらいいなぁと願う。

さて、話は元に戻る。
そうして私は1年間休職し、まずは卵巣嚢腫の摘出を行うことになった。

不妊治療を始めてからここまでで、検査を含めて2年くらいが経ち、
私はいつの間にか30代半ばになっていた。

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