魂の話

※この記事は、超個人的かつ、スピリチュアルな話ですので
そういうのに触れると揺れる方、嫌悪感のある方、呼吸レベルで馬鹿馬鹿しいと思ってしまう方には向きません。

まとまりがいつも以上にないかと思います。
興味のある方、真摯に読んでくださる方でも、お時間と心の余裕のある時に読むことをおすすめいたします。






ここ最近、何かが滞っている。
ここ最近と書いたが、近年というべきか。

全く何も流れがない滞りではなく、noteをはじめ出逢った人達との交流の中で得たものや、引っ越してきたこの地で出会ったものなど、流れも存在している。

しかし、もう少し大きく混ぜ返したい。

というのが、私の心の中にある事を、私は感じ取っている。




「幼少の時のが強かったね」

と対面で言われたのは『霊感』と呼ばれる、感覚的世界を見る力。
私は見てくれた先生には何も感じ取らなかったが、手相占いは確かであった。(そもそもあの時は感じ取る力も弱かった)
あの時、両隣が射手座だった事に少しフフッとなる。
おや、なにか現在に似てる。(多分これは私にしかわからない)
今なら幼少期のが強かったとされるのも、なんとなくわかる。


私は対面を不得意とする。


占い、霊視、なんでもいいが、対面のほうが文面や音声で見るより、見やすいのだろうと思う。
しかし、私は対面が苦手だ。肉体には肉体のルールがあり、地球の生き物は肉体のルールに依存する傾向があるからだ。
その向こう側まで到達しないうちに「解」を出されることが、私にはとても苦しく、時に怒りに繋がる。故に私は、文面を好む。自分が見るときも文面を好む。
もしかしたら、本当に力のあるモノなら、対面でも向こう側までみえるのだろうか。
私は未だ、そういう人に会ったことはない。


対面の時は、基本、統計学的な占いを楽しむようにしている。
目の前の人物が、どのような言葉で世界を紡ぐのかを見るのが私は好きだ。
占いをする人というのは、不思議な力が無くとも何人も人を前にする事で、察知する能力が高い人が多い。
そして、本当によく観察する目の人なら、私の外側の向こう側くらいは簡単に見破れるのである。

「あなたは大きい木があって、お日様もあって、豊かな土もあるけれど…お水が足りないのね」

と仰った先生は、とても品の良い、それでいてしっかりとした空気の持ち主だった。
その時は、四柱推命で見てくれたのであろう。確かに水少ないね。因みに金は一つもない。そういえば出生時間その時は把握してなかったな。
(時柱に水があるんだ)

後輩と行ったときも、夫と行った時も

どちらも金が強くて、それぞれ違う先生に見ていただいたが
「あなたに足りないものを、持ってる人が常に側にいてくれるのね」
と言われた。

夫に関しては刃物、後輩に関しては鋼そのもの。

夫は私を剪定するものであり、後輩は彼女が鋼を温める火力をあげるために私の木を分け与えるものである。

「あなたは、ワサァッてしがちだから」

と言われた。
私をほっておくと伸び放題の荒れ放題になるそうだ。

その時は確かに剪定されて、燃料を与える関係で、心地よかった。


けれど、今は剪定され過ぎた気がする。
後輩への燃料投下は最近はしていないが、たぶん、それは火の人達がいれば薪をわけているので、後輩でなくともいいのだ。

まぁ、夫は立ち位置が巣穴なので、どうとでもなる。(巣穴にしておくのがいいのだ)
周りから剪定の手が入らなければ、彼の剪定が間に合わなくなるくらいには伸びられる。
本来の私なら。そう感じる。

しかし

何かが足りない。伸びたりない。



私は西洋でいえば風の人なので、風の吹き具合も必要だ。

柔い風は何時も吹いている。
でも、これではいけない。

私の心の底には永遠に凪ぐ砂の島がある。
外洋である夢の海は何時も荒れている。
そうでなければいけないのだ。

『私達は唯一形のない存在。けして捕まらず、けして留まらない』

私はこの星が窮屈で苦手だ。
肉体に依存する考え方も、こんな小さな星で争う事も、大嫌いだし、何時だってかえりたい気持ちになる。

けれど、けして今世が初めてではない私の魂は、何かすべきことがあるのだろうと、知っている・・・・・

それを少しでも明確にしたいから
私は誰かの言の葉を必要とする。
私だけでも充分解ることはあるが
足りないことがあることも、私は知っている。
 



つい先日、やっと『みてもらってもいいか』と思えるページに行き当たった。
この出逢いは必然であろう。
いや、偶然に見えることも、必然が無数に絡み合って出来たもの。

私としては珍しいカテゴリーの人であった。

私は、誰かが私を覗きに来たらわかる。
霊視の感覚や、遠隔ヒーリングの感覚がわかる。
そして、私自身は弾く力が強いので、相性が悪いと弾かれる。
そもそも、やり取りの初手で弾かれる相手はわかるものだ。
そうなったら、私の自動防御と戦いながら、私を見る事になるので相手は疲弊する。大抵、怒った空気の出た文書が届くのである。そして、読み切れていないと感じるのである。大変、申し訳ない。
たまに説明文に「なにか掛けてる人は外しておいてください」と書いてある人がいるが、私のは自動付与の防御なので、外せない。


今回の人は、初手で弾かなくてすみそうだと感じた。
守護している人達(元人間)のことを教えてもらった。

私は私の魂がこの星のもので無いことを感覚的に知っている。
今回、名前だけ伝えてみてもらったのだが、彼女(たぶん)は私の魂が宇宙由来のものであること、故に地球由来の魂との相違に戸惑ってきた人生であろうことを教えてくれた。

生年月日をつかってスターシードだのなんだの、ありきたりな事をいう人とは違う。
彼女は確かに何かと交信し、私に彼女の言葉で伝えてきたのだ。

彼女は丁寧な人で、二度私をみにきた。
だいたい、見にくる人は相性が悪いのか肌がピリピリといたんだり、嫌な違和感が右側に張り付くのだが、彼女が見に来たときは驚いた。

『ふふ、温かい。』

じんわり、まるで温めた石でマッサージされているように温かな空気があった。
彼女の肩書にカウンセラーもあったが、ヒーラーなんじゃないの?と思う。
(因みに、知り合いは見に来てもくすぐったい。弾いたりはしない。力強いとちと重いなぁくらい。)

そんな彼女曰く、私には守護霊の他に、神様が守護についてくださってるそうな。それは私の魂が高いことを意味しているのだという。

霊格と呼ばれる魂の高さは、確かに、どの占い師にきいても高めではある。

『こんなに適当に生きてるのに?こんなに荒んでいるのに?こんなにやる気ないのに?』

と毎度思う。申し訳なく思う。私の魂が高いのは前世の私達の努力の賜物であると、私は感じている。
今はまさに、放棄しているようなものだ。
なにせ、掴めない。もう一掴み出来ればと、何か藻掻いているような状態である。


何を持ってして、私はこの世界に何ができるのか。
私の魂はそもそも宇宙生まれであり、自由を愛するものである。
使命というのも、それに縛られるのが嫌なのだと思う。
神様をもっと近くにおろすと、悩むことは減るそうだが、それは『知らなかったことを知る』ことであり、それにはそれ相応の責務がある。

知るということは、背負うということ。

知ったけど、しーらないなんて、無責任な事は出来ないのだ。
そう、やすやすと見逃してもらえるほど甘い世界では無い。


『人間のために』はなんとなく抵抗がある。
『地球のために』はなんとなく違うと感じる。

違和感がある。
どれもこれも違和感がある。

けれど、言えるのは

命が傷つくよりは
楽しくしていてくれる方が好きである。
世界が滅びるよりは
伸びていくほうが好きである。

終わりはやってくるとして
それは私にとって宇宙に帰ることであり
喜ばしいことである。
それまでの間に
この星を愛していられたらいいと思う。


昔から、気がつく前から

「あなたは大器晩成型ですよ」
とか
「自由を愛する星ですよ」
とか
「その優しさは隔たりがなく、しかし頑固な面もありますよ」
とか

散々見聞きしてきたが

なんとまぁ、難儀な。
表裏一体とはこういうことなのである。

ここまで自分を深堀して、他者との拭えぬ違和感も知っていて、己の魂を磨くしかないことも、それが見せる孤独のことも、何もかも掴みかけていて、あと何が足りないのか…。

いや、思い切りの良さというか、信じきる心かな?それもまた違う気もする。  

師がいればいいのか?
なにか修行して開くか?

どうやって?

私は縁が弱い。
それもそのはずで、少し次元がぶっ飛んでるのだろう。
というか、磨くのに硬度が必要なのだ。
もう、ハッとしたりする段階ではない。
もし、掴みたいなら登らねばなるまい。

しかし、どこをどう登ろうか。
それが私には見えてこない。
だから落ち着かないし、どうしていいかもわからないで滞っている。
ここ数年どころではないなこれは。
いや、流れが生まれそうなときに、どうも断ち切られるだの、潰されるだの多かった。
私の前の私達もそうだが、私達は誰かの守護なしだと、周囲に敵が多すぎるのだ。
それでいて囲われて飼われるのは向かない獣体質であるからして、私達は私達を鍛えあげる何かが必要である。

でもなぁ。
私を見守る神様と近くなるのはなぁ……今より聴こえて、今より感じて
駄目だ。人間の生活ぶっこわそうぜ!ってなりそう……。
なんか色んな事に納得はいくし、何かを失うことはもしかしたら、もしかしなくても必然なのだが、今なのか?とか、なんかもう少し輪郭見てからにしたいとか、思う。

こうなったら、対面か。
あったらスラスラ言葉の出るタイプの苦手なタイプの人にみてもらうか。
たぶん、カウンセリングだの、コーチングだのでは駄目だと思うのさ。
人間の世界の人間のルールの人間の理ではないほうがいい。
たとえ、皮を剥げばそうであったとしても、せめて装いくらいは人間を消してあるほうが、私には馴染む。





あぁ。ままならない地球ライフ。




ここまで4000字近く、お読みいただき有難うございます。
これを読んで、何か気がつく人もいるかもしれませんし、なんのこっちゃねーな人もいるかもしれません。

noteは外の星の子が多そうです。
地球の人も寛大な人が多そうです。

だから、こんなことも書いておけるのです。
こういうのはね、好かれ悪かれ必要な人が読みに来るものなのです。
節操無く読んでいたとしても、それもまた、一つの流れ。

時たま、もう、かえってしまおうか?地球の事など一時に過ぎないのだから。
と思います。
けれど、面白いことが私を呼びに来ます。

銀色の時代になった時のこと、心の居場所を考えると、苦しくなります。
体という入れ物は地球の文化です。
この物質の星で、私達は心をみなくてはいけません。
それは宇宙よりも難しく、困難極まりないことであり、それこそがこの星のある意味なのだとしたら、私達はそれを忘れてはいけません。


私の魂は、今ここを見ていくのだというので、私は付き合うのです。
その他、沢山の私に付き合うモノたちに感謝しつつ、この短い地球ライフで何ができるかを考えていくのです。


あーあ………私の性質状、興味のないものは切り捨て傾向なので、どうか、私の性質に引っかかり続けるものが現れますようにーー。きっとそれが私の魂をさらに高みに導くのでしょう(己で探せよって話なんですけどね)




















  





サポート設定出来てるのかしら?出来ていたとして、サポートしてもらえたら、明日も生きていけると思います。その明日に何かをつくりたいなぁ。