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おんぶ紐を思い出したって話。

それは昨日の『ねむい』って記事のコメントにコメントを返した時のこと。

『白いシーツ』のところで(返しコメント序盤)、私は実家の屋根に干した布団に寝転ぶ遊び(ちょっと危険)が好きだった事を思い出した。ちなみに我が実家に白いシーツなどというおしゃれアイテムはない。

実家は少々変わった作りで、2階の南向きの大きな窓を開けると目の前に青く塗装されたガルバリウム(たぶん)の屋根が見える。
傾斜は緩やかで、子供でも立って屋根の上を歩くことが出来る。(危険)

実家の布団干しは、その屋根に敷物を敷いて、上に布団を干すスタイル。
一気に3枚の布団が干せるし、その布団の上で寝っ転がると空を眺める事が出来る。(それなりに危険)

物心ついた私は、大人だけ屋根に出られるのは狡いと思っていた。危ないから、駄目だよといわれ、大人しく父親の布団干しを見守っていたが、何時かは屋根の上に上がってやると思っていた。

とうとう、踏み台を使えば窓枠に足がかかるようになった時、遊び好きの父が屋根に出ることを許してくれた。幼稚園生くらいだった。


「危ないから、コレつけてやるよ」


腰に巻かれた帯。

そう。これが昨日思い出した「おんぶ紐」だった。

その紐はしっかりと編まれた細帯で(毛糸編みみたいな見た目。毛糸だったのかも)、もとは鮮やかな色だったのかもしれないが色落ちしたときのピンクのようにくすんだ灰色で毛羽立っていた。

それが私の命綱。

父はそれを部屋の引っ掛けに結び私を放置していた。(いいのか?それで)
私は飽きるまで屋根で遊び、飽きたら窓を叩いて父を呼ぶ。屋根から抱き上げてもらうために。
窓枠に登ることは出来ても、降りるのは怖くて降りられない。そんなお年頃だった。 

小学生になった頃には屋根の上はなんのその。
かくれんぼに使ったり、家を締め出されたときも屋根から帰宅したりと、屋根は友達だった。(高さは2mくらいある)

妹とも屋根で遊んだ。
弟は…屋根デビューの頃どうしたか覚えていない。弟は怖がりだから、屋根で遊んでないかも。


『そうだ。そうだ。思い出した。』と、昨日の私は思っていた。
私はおんぶ紐でおぶわれていた時期があったなぁ…。
本当に小さい頃、祖母の背に結わえられていた。

今時のハイテクおんぶ紐には敵わないと思うが、帯一本でなんとなかなるってのも凄い話だ。

因みに、そのおんぶ紐は私のママゴトにも大活躍した。だから、私は帯のおんぶ紐の使い方を知っている。


我実家は曾祖母(おおきいバアちゃん)が私が3歳ごろまでは存命で、祖母(おおきいバアちゃんの養子。)も一緒に暮らしていたから、同年代の子たちより、ちょっぴり古風な育ての箇所がある。

ついでに思い出したことだが、物干し台(ベランダなんてお洒落用語だぜ)に並ぶ布オムツは妹の代まで続いた。


私と同じように屋根で遊んでた人って、いる??


サポート設定出来てるのかしら?出来ていたとして、サポートしてもらえたら、明日も生きていけると思います。その明日に何かをつくりたいなぁ。