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古墳好きな24歳と古代史好きなその親友が百舌鳥・古市古墳群をめぐる

一般的な24歳の女性二人が束の間の休日に向かうところはどこだろうか。おしゃれなカフェや飲み屋にて仕事の愚痴、恋愛相談、また映えスポットに足を運ぶことが多いだろう。

しかし我々は一味違っている。いや、違っていることをアイデンティティにしすぎている。ネタ的人生。常に我々は人生におけるネタを探しているのだ。

向かった先は世界遺産、「百舌鳥古市古墳群」である。

そう、私たちは古墳を見に来たのだ。

百舌鳥古市古墳群は2019年に世界遺産に登録された大阪府堺市、羽曳野市、藤井寺市周辺にある古墳群の総称であり、日本一規模の大きな仁徳天皇陵古墳をはじめとした古墳がある、いわば古墳のメッカである。古墳が好きな人でなくとも訪れたことがある人は多いのではないだろうか。

しかしながら私はなんだかんだチャンスを逃して百舌鳥古市古墳群に出向いたことはなかった。今回この親友が大阪に住んでいることもあって、良い機会だと思い一気に古墳を巡ろうと持ちかけ実現した。

ちなみにこの同い年の親友は古代史好きである。いつかの春休みに一緒に西安の兵馬俑へ行く約束を立てたぐらいだ(色々あって断念している)。

今回はたった二日間の古墳巡りの全容を記録にしようと思い、ここに記事として残すことにする。

注意:尋常じゃない量の古墳が出てきます。古墳が苦手な方はご遠慮ください。

1日目 百舌鳥古墳群

百舌鳥古墳群のマップはこちら

百舌鳥古墳群は世界遺産に登録されている古墳だけでも44基あり、その多くが大型の古墳の陪冢(ばいちょう:大型の古墳の周りにある小型の古墳。大型の古墳に何かしらの関連のある墓と言われている)とされている。44基もありまた一部は若干遠くに散らばっているため、主要の古墳をめぐるサイクリングマップに従い、電動自転車を借りて訪れていくことにした。

ワクワクしながら百舌鳥駅を降りる。すぐにわかった。古墳だ。私の目にはすぐに古墳が飛び込んできた。しかし親友の方はまだピンときていないよう。親友よ、そのうちわかるようになってくるぞ。ちなみにこの線路の向こう側にある森が長塚古墳。前方後円墳。

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すぐに大仙公園に入る。前方に古墳だ。さすが大仙公園。息つく暇もなく古墳が現れる。収塚古墳。帆立貝形前方後円墳。

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横断幕を横目に見ながらレンタサイクルの電動自転車をゲット。いざ行かん。

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最初はもちろん仁徳天皇陵。前方後円墳。ここは人生において一度は訪れたかったところ。さすが日本一。迫力満点。感無量。このような陵墓地や陵墓参考地は宮内庁管轄になっているため、拝所が必ずあり、それ以外の部分には立ち入ることはできない。

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仁徳天皇陵の拝所を訪れた後、自転車を走らせて仁徳天皇陵の周りの陪冢を一気にまわっていく。

まずは銅亀山古墳。今回一発目の方墳。墳丘は2段。

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次に樋の谷古墳。よく見えないけど円墳。

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少し住宅街に入って菰山塚古墳。帆立貝形前方後円墳。

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丸保山古墳。前方後円墳。

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永山古墳は道路を挟んだ対岸に。前方後円墳。

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さらにほとんど仁徳天皇陵古墳のお堀の一部になっている茶山古墳。円墳。

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同じくお堀の一部の大安寺山古墳。円墳。

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ここで近くにあった源右衛門山古墳を見逃してしまう。

続いて塚廻古墳。円墳。住宅地の真裏にあった。

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ここで仁徳天皇陵をぐるっと一周。20分ほどでした。

すでに時刻はお昼を回っていたので、ここで腹ごしらえ。

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古墳バーガー。そのまま古墳Tシャツを衝動買い。

腹ごしらえ後、まずは大仙公園内の古墳を制覇しようと計画を立て、いざ出発。そしてこの午後から親友の古墳センサーが開花。今まで微妙な反応をしていた親友が次々と古墳を目視で発見。

午後イチは孫太夫山古墳から。帆立貝形前方後円墳。これも仁徳天皇陵の陪冢。

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続いてこちらも親友が発見。竜佐山古墳。帆立貝形前方後円墳。

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そして地図には載っていなかった消滅古墳(墳丘が何かしらによって失われた古墳)である、鳶塚古墳。円墳。

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グワショウ坊古墳。円墳。カタカナが入る古墳は意外と全国にある。

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そしてこの古墳はあまりにも整備されていて、一瞬モニュメントと疑った七観音古墳。円墳。実はここまでくると、陪冢は陪冢でも仁徳天皇陵古墳の陪冢ではなく、隣の履中天皇陵古墳の陪冢だそう。

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旗塚古墳。帆立貝形前方後円墳。

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道路を渡って寺山南山古墳。方墳で造り出し(儀式などを行なっていたとされる突出した部分)を持つ履中天皇陵古墳の陪冢。

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そしてお待ちかねの履中天皇陵古墳。日本で3番目に大きい前方後円墳。ビュースポットは円墳側から。

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そしてここで初めて古墳スタンプラリーのアプリがあることを発見。UIが悪すぎて、一回で飽きる。

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線路を渡って、いたすけ古墳に到着。前方後円墳。いたすけ古墳は大型の古墳でありながら、陵墓地ではないため、人の手がいつか入ったような跡があった。

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いたすけ古墳の陪冢である善右ヱ門山古墳。方墳。円墳側にあり、割と見つけやすかった印象。

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御廟山古墳。前方後円墳。この古墳は古墳本体のサイズに対して、割とお堀が広い印象。動画しか撮っていなくて、看板の写真のみ。

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百舌鳥八幡宮を経由して、いよいよ南部に位置するニサンザイ古墳へ。前方後円墳。日本で7番目の大きさであり非常に綺麗。私の中で好きな古墳堂々のランクイン。この古墳には墓地が隣接していて、古墳に隣接する墓地なんて実質陪冢なのでは...?と思いながら一周してから百舌鳥駅までの道を駆け抜ける。

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最後に堺市博物館を訪れ、サカイタケルくんというどう見てもセントくんじゃん...なキャラクターに爆笑しながらレンタサイクルを返却。

ここまで行った古墳は22基。44基中半分しか行けなかったのが悔やまれつつも、主要古墳とその陪冢はギリギリ回れたので満足しながら百舌鳥駅へ向かう。心残りは北部にある反正天皇陵古墳に行けなかったこと。我々はリベンジを誓った。

2日目:古市古墳群

古市古墳群のマップはこちら

1日目の百舌鳥古墳群の東、藤井寺市や羽曳野市のエリアにある古市古墳群が2日目の舞台。古市古墳群には日本で2番目に大きい古墳もあり、また多くの陪冢に出会えるとワクワク。土師ノ里駅で電動自転車を借りていざスタート。

早速駅を降りた瞬間古墳が飛び込んできた。鍋塚古墳。方墳。仲姫命陵古墳の陪冢で登れる古墳である。2日目のスタートが登れる古墳から始まり、この日親友は初の古墳登頂。ちなみに私の初古墳登頂はさきたま古墳群の古墳。

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続いて大きなお堀をぐるっと回って、住宅地の真ん中の拝所に到着。仲姫命陵古墳。前方後円墳。なぜかずっと地図の方向を間違えており、自分達は允恭天皇陵古墳にいると信じきっていた。天気も良く綺麗に整備されている。仲姫命は応神天皇皇后であり応神天皇陵と並んでいるので、さながら日本のタージマハルみを感じるなどと話しながら次の古墳へ。

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古室山古墳。前方後円墳。中に入って登れる古墳で結構大きめ。造り出しもある。

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そして対岸の高架橋を渡ろうとしたときに、我々は異変に気づく。あの盛り土は単なる盛り土としては随分と目立つが、古墳というにはどうも不自然だ。恐る恐る近づくが高架下の盛り土でしかない。しかし我々の古墳センサーはこの2日間で研ぎ澄まされている。何かを感じたのでGoogleマップを確認したところビンゴ。しかもこの古墳のために柱を一本抜かして、代わりにアーチ形にして強化させているとか。今回で一番テンションが上がった瞬間である。赤面山古墳。方墳。

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赤面山古墳から視点をずらし、小道に目をやると、あったあった。古墳らしきものが。大鳥塚古墳。前方後円墳。

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さて今回の本命。応神天皇陵古墳に到着。前方後円墳。やはり日本で2番目の大きさを誇っているだけある壮観である。そして拝所までの道が長い。このレベルになると全容を伺うことはできない。それでも私は満足。

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応神天皇陵ほど大きな古墳の周りには陪冢のオンパレードである。東馬塚古墳はあまりにも住宅街で中をよく見ることはできなかった。方墳。

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栗塚古墳は看板が建てられており、しっかり発掘調査も行われているとのこと。方墳。

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さてここから長い街道を走り、安閑天皇陵古墳。前方後円墳。周りの天皇陵と比べると小ぶりに見えるが、全国的に見たら大きな方。

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古市駅を超えて、白鳥陵古墳に到着。前方後円墳。かなり立派なお堀があり、お堀の際は住宅地であるためあまり寄って見ることはできなかった。日本武尊(ヤマトタケル)の墓であるとかないとか。天皇陵ではないが、しっかり拝所があり、よく管理されている様子。他の古墳と比べて少し違う雰囲気があった。

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そして白鳥陵から少し離れた清寧天皇陵の陪冢とされる小白髪山古墳に到着。住宅地にある小さい古墳だがしっかり前方後円墳。

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小白髪山古墳をでたところすぐの街道にてラーメンでエナジーチャージ。地元有名店だったらしく、外に出たら行列。自転車の前で大きな地図を広げて次どこ行こうかと話していたら、後ろに並んでいたおじさんたちに「何しにきたんだ?ああ、古墳見に来たのか?」と怪訝な目で見られながら話しかけられる。

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お昼の後はすぐに清寧天皇陵古墳へ。前方後円墳。おなじみの拝所もここまでくるとカメラロール上では同じ写真が並んでるように見えて仕方がない。

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峯ヶ塚古墳がある公園の中に地図に載ってないモブ古墳を発見。小口山古墳と小口山東古墳。石棺がそのまま残されていた。横穴式石槨。方墳。ここにきて7世紀後半の古墳。今までのほとんどが古墳時代中期のものばかりだったので、比較的新しい古墳の出現に少し驚いた。

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メインの峯ヶ塚古墳はチラ見程度。お堀の前に「池に入って遊んでは行けません」の文字があり、そこ池でいいのか?と思いながら次の目的地に急ぐ。前方後円墳。

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仁賢天皇陵古墳は一番こじんまりとしていた。お堀なのか大きなため池なのかわからないような水辺が近く、この時期は鴨と鷺がたくさんいた。

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お次は墓山古墳の陪冢が多く並ぶエリアへ突入。まずは青山古墳。円墳。一番管理が杜撰に見えた。

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そして墓山古墳は見えているのになぜか方墳側へ近寄れない。周辺をうろうろしていると陪冢を偶然発見。野中古墳。方墳。

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走行しているうちに墓山古墳に到着。前方後円墳。にしてこの古墳の名前。全ての古墳に付けられそうな汎用的な名前をしていて面白い。

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墓山古墳の円墳側の目と鼻の先に向墓山古墳があった。方墳。墓山古墳に向かっている古墳でこの古墳たちは本当に覚えやすい名前をしているな。ここで2日目で初めてお年寄りの観光客軍団を見た。百舌鳥古墳群は割と観光客がいたが、日曜日なのに古市古墳群で見た観光客はこのご一行のみである。

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古墳からは離れるが、近くに誉田白鳥埴輪製作遺跡があった。埴輪釜が発見されたようで、ここから数々の埴輪が古市古墳群の古墳へ旅立って行ったのかと思うと興味深い。

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そこから数メートルのところに西馬塚古墳。方墳。この古墳は二階建てくらいの高さがあったが道路ギリギリに迫り出していて、とても圧迫感があった。

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野中宮山古墳。前方後円墳。ここはほぼ公園。それにしても近くに野中古墳もあり、なかなかこの辺りはネーミングが。

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はざみ山古墳。前方後円墳。あまりにもフォルムが古墳。造り出しもあるようで結構ちゃんとしている。

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そしてこの古墳は古墳かどうかも怪しかった。応神天皇の何かであることは読めるが、それ以降がどうも読めない。Googleマップには藤ヶ丘 山道ポケットパークとある。

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そしてついに仲哀天皇陵の陪塚に到着。割塚古墳。方墳。駐車場に隣接していて、親友がギリギリのところで見つけてくれた。こいつ、、私より古墳センサー強くなってないか?

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そして今回の締め。仲哀天皇陵古墳。大きなお堀、拝所。この2日間で何度も見てきた光景であるが、これもまた綺麗であった。岡ミサンザイ古墳とも言うよう。前方後円墳であるが、少し形が歪んでいる。

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時間がなかったので急いで土師ノ里駅に戻り自転車を返す。最初に出だしを間違えて允恭天皇陵の拝所まで行けなかったので、遠目だが写真だけ。前方後円墳。

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これで20kmに及ぶ古市古墳群のサイクリング終了。実は古市古墳群に属している雄略天皇陵古墳にも行きたかったが、高鷲駅と別駅であったため断念。人生で初めて行った稲荷山古墳にワカタケル大王の鉄剣があったので、雄略天皇陵もぜひ行きたかったが、次回にお預け。

ここまで走行距離30kmを超え、約50基の古墳を訪問でき、私はとても満足した。古代史好きの親友にも面白さが伝わったようで、とても満足。不満な顔せずむしろ楽しみながら一緒にきてくれたことに感謝!

図らずとも世界三大墳墓訪問の一つを達成した我々。西安訪問断念から続いている我々の野望。次回は中国か、エジプトか。古代史好きの旅はまだまだ続く。

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