なない的人工知能論 「心の社会」


本を片付けようとして目を通していると、マーヴィンミンスキーの「心の社会」に目がとまった。

捨てる前にもう一度目を通そうとしたら、いろいろとアイディアが浮かんだのでここに書いておく。


エージェント→パラメータ拘束

そもそもこの本の内容を知らない人が読んでもわけわからめ、だと思うので簡単に本の内容を書いておきたい。

といっても、それを1から書いていくと本を全部説明することになってしまうので、ものすごく簡単に書く。

この本では「心」はエージェントの塊だと考えている。

「紅茶を飲む」という行為は
つかむエージェント:カップを持つ
平衡エージェント:バランスを保つ
喉の渇きエージェント:水分を取りたい
動かすエージェント:カップを口元に持って行く
といったいろんなエージェントの動きで実現している。 という考え方だ。

この考え方は支持できるが、「エージェント」という表現がよろしくない気がする。

エージェントという言葉は知的なものに思えてしまうが、ここでいうエージェントはもっとプリミティブな物だ。

だから、単純に「パラメータ拘束」というのが適切だと考える。

掴むエージェント:カップを持って居る状態に拘束する
平衡エージェント:急激な動きが加わらない状態に拘束する
喉の渇きエージェント:水分を取る行動の優先度を高い状態に拘束する
動かすエージェント:手を特定の位置に動かすように拘束する

といった感じだ。

この方が実態に近くなると思う。


習熟=パラメータ拘束のグループを見つけること

習熟とはパラメータ拘束のグループを見つけること。

例えば、立つためには、平衡感覚に対して筋肉の応答を拘束しないといけない。

もっと複雑な野球の投球みたいな行動でも、どの筋肉をどういう順番で力を入れて、逆にどの筋肉は力を抜いておく、みたいなことが必要だ。

大量の筋肉の動作条件を拘束することで特定の行動ができるようになる。

なにかに習熟すると言うことは、「その行動に必要なパラメータ拘束のセットを見つけること」だと考える。

つまり、習熟は探索作業であり冒険なのだ。

これは直感にも会う。新しい取り組みというのは冒険的な気分になるし。


習熟の順序

心の社会の中では積み木を例にしてエージェントの動きを解説しているが、リアルに考えれば「積み木を見る」「腕を動かす」というエージェントがちゃんと動いていないと話が成立しない。

つまり、自分としては習熟には順番があると考える。

赤ちゃんは最初は物を見る方法も分からないし、物理法則も分からないし、音の意味も分からない。

視覚・聴覚・物理法則といったものにある程度習熟してから初めて積み木遊びが出来る訳だ。

自己学習するロボットを作ったら、いきなり専門技量を教えてもうまくいかないと考える。

視覚や聴覚に関する汎用的なことに習熟させ、それから専門技量について習熟させないとダメだろう。(人間の赤ちゃんみたいに)


どうやってエージェントが生成されるのかは不明

心の社会をさらに読んでいっても、言語とか空間認識とかの話題に移っていくものの、どうやってエージェントを作り出しているかの議論がないっぽい。

人間は赤ちゃんの時から、平衡を取るエージェント(パラメータ拘束セット)とかを開発してきているので、どうすればそれを開発できるのかすごく興味深い。

ところが、それについてはあまり書いてなかったようだ。

うーん、残念。


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