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たがえるということ

なぜあいつはああなのか

自身の不遇を託ち
まわりに不平を撒き散らす
意見交換を論争に仕立て上げる

ターゲットを見定めては
言葉で叩きのめす

そんなやつに
いちいち反応していたら

平静心など吹き飛んで
イライラが募るだけだ

できるだけ距離を取るのが
賢い選択とはいえ

物理的距離を取るわけにも
いかない場合もままあるわけだ

そうであるなら
心理的距離を取っていく

それでも
事実は展開していくわけで

知らず知らず
憂鬱な気分にもなるわけだ

これは公的立場では
ある種どうしようもないことでもある

だが

憂鬱にさせられるもうひとつの原因は
内心では反感を抱きつつ
嬉々として
そいつに従っている輩の集団だ

彼らは
本来、権力を握ってはならない者に
それを与えるきっかけを作る

集団というのは
どういうわけか
そのような力を持つものだ

そこに属している者は
じっと口を閉ざし
事象に流されている限りは
すべてを容認したことになる

朱に交われば赤くなる

まあ

それはそれで楽な方法でもある

寄らば大樹の陰…

果たしてそれは真の大樹なのか

考えることをよすか…

どうだろう

怖れに囚われて
現状に甘んじることは

緩慢な死へとつながる道だと
俺は思う

身近にいいる大多数の者と
道をたがえるのは
勇気を要することだ

だが

他人と同調することが
己を欺くことであるとすれば

それは
すでに他人を欺いている行為である

変化を望まない集団に対して
意見を述べることは
時に賢い選択とはいえないものだ

時節を待つのも知恵のひとつ

力が及ばないときは
静かに去ることもひとつの選択だ

選択の連続が未来を作るのだから
不本意な生き方を選ぶよりも

爽やかな正直な道を進みたい









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