七色アガサnanairo_agasa
私は旅をしている。この地球を、大宇宙の煌めく星々を。気の遠くなるような時の流れを、或いは瞬間の連続体を。現在は未来であり、未来は過去である。今が今であるように、過去は未来でもあったのだ。
七色アガサは、ひたすら思考する。あたかもそれが、使命であるかの如く。思考こそが、七色アガサである証明でもあるかのように。七色アガサは思考を重視する。この、脳内の自由行為であるところの思考。第三者により見聞きされることのない行為であるからこそ、これらは、ともすれば、取るに足らぬことを延々と繰り返すという愚行を孕んでいる。自戒せねばならぬのは、ガラクタの思考からは、ガラクタの産物しか生まれないという事実。詰まるところ、稀有な思考には、稀有な思考材料が必要という事実だ。その内奥に、煌めきを秘めた稀有な思考。稀有な精神、稀有な魂と言い換えてもよい。煌めく魂が思考する行為にこそ、真実の目は開かれる。この最も難解で困難でもある挑戦こそが、七色アガサたる所以である。
市川翔自身の言葉をしたためる。彼の脳裏を駆けめぐる言葉を。事実も想像も、あらゆる思考が言葉に変換されて表現されてゆく。彼にとって、言葉は思念。ときに言葉は、現象そのものとなる。それこそが彼にとっての呪縛だ。 ichikawa.shou001@gmail.com
市川翔は物語の主人公である。彼の世界と我々のこの現実世界は、同時に進行する並行世界だ。もしかすると、我々こそが仮想で、並行世界こそが現実なのかもしれない。思考は想念であり、想念というものは、多かれ少なかれ、常に現象化するものなのだ。ここでは、市川翔について語る。
じわりと暖かな ふわりと柔らかな 初夏の気配が 身を包む アレヤコレヤと 異変続きのこの 年月(トシツキ) 街の景色は 変転続き 変わらぬはずの 自然の山々 各地 各高山 多大の緑消失 太陽光パネルの はげ山と化す 清流深緑深山 今は亡き景色也 嗚呼 環境保全は 環境破壊 この皮肉 心痛の想い 限りなく イマこのトキ 文明の分岐点にて 何を学ぶか 貴重なイマは 何を告げるや 屈するは 大いなる隷属也 行動するは 自由への道也 いまこそ 研ぎ澄ま
卯月月末 朝日がピカーン 冷たい風が吹く 雲がもくもく 湧いてきて 寒かったり 暖かかったり 日々の変化を 感じ取る 嗚呼 この国の歴史の先に 夢を託した先人たちの 熱き思いに心をはせる 危機においては まっすぐ真っ当を 貫く人の心意気 私利私欲には 決してまみれない 最大多数の最高幸福を 目指す人と人との心と心 その固く強き結びつき 心を天に向け ただひたすらにゆく 無名の大衆 国の民の力をこそ 侮るなかれ
野をゆけば 春の気配に 満ち満ちる
太陽に舞う 丸い輪の 七色の虹の 安らかさ 和をもって 大縁をなす
いつも ニコニコ笑ってる 素敵なことを 思い出させてくれる 宇宙(そら)
集まりて 笑いあう 響きあう おもひ 称えあい 敬いあう とき
透かし見るのは いずこの景色 それはきっと 心の景色 澄み切って 落ち着いて 今日を生く
歩く歩道の風の中 花の薫りに足を止め 見つめる先に 白、ピンク 麗しの季節の訪れに あら嬉しやルンルンと
お山の新緑が 鮮やかに 繁り繁って エネルギー 嗚呼 満ち満ちる 生命の力 さぁて 深呼吸 深呼吸 今日も明日も あさっても ニコニコっと 元気にいこう
昨日よりは今日 今日よりは明日 だんだんに ほんの少しでも 進む!
春の嵐は 吹き荒れる 風が ビュンビュン 巻き上がる しかし こんなお天気も 厚い雲の 下だけのこと 遥か遠く上空に 静寂がある いざ 宇宙(そら)へ
幾久しくと ねがいつつ 過ぎゆく ときを おもふては ひとはゆく どこへゆく まだ見ぬさきへ さきへ さきへと ただ ひたすらに
スコーン と 抜ける そんな瞬間 って あるよね うふっふっ 前向きに 前向きに
坂の途中の 山の道 艶やかに咲く 八重桜 あら美しや ほれぼれと
晴れわたれ 晴れわたれ どこまでも 清く 美しく 嗚呼 永遠よ
いつでもいるよ ここにいる どこでもいっしょ ひとりじゃない