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CommonとUncommon

職業と貴賎

むずかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。

福沢諭吉『学問のすすめ』


職業に貴賎なし。

僕らの基底道徳にはこのことが刻まれているように思えるけれども、果たして本当にそうなのだろうか。

確かに人は、生まれた時点において他者との本質的な差異は無いかもしれない。誰しも裸で誕生し、母の乳を口に含み、父の庇護の下に入る。

けれども成長は、そのような同一点を開始地として共有しながら、個々の努力如何によってその到達点を千差万別のものとする。

その到達の一つの表出が、職業だろう。それは個人の資質、学力、体力などに依って多様に選択される。

この時、必ず職業の間に差が生じる。人気あるいは難易により、社会的地位や報酬の多寡は大きく分岐する。ただ口頭での受け答えのみ行い得れば良いだけの仕事と、多大なる知識学力を必要とする職業が、並列に考えられて良いわけはない。

したがって、職業に貴賎はあると考える。


天は人の上に人を造らず。
こう述べたのは福沢諭吉である。

これは一見すれば、人間の本質的平等を述べているように思える文章だ。
けれどもそれは誤読でしかない。

夏目氏のこの文章には続きがある。

されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と 泥 との相違あるに似たるはなんぞや。その次第はなはだ明らかなり。『 実語教』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。

人間を一個の物体と考えた時、その間における価値の差はないかもしれない。

けれども人間が社会的動物として生きる上では、各人における価値の差異が必ず生じる。

その差異を生ぜしめるものこそ智であり、しかれば人は皆学ぶべしと述べているのが夏目氏の論だ。


全人類の平等を謳う人々は、人間の本質的価値における差異の存在を否定する。

それは私も否定しない。けれども私たちが生きているのは、本質が表出し続けるような世界ではない。私たちの世界は社会であれば、社会における価値が私たちの価値に成り代る。

動物存在としての価値を訴えるのも一興であるけれども、故にと言って社会存在としての価値を唾棄するのは、賢明とは言えないだろう。


CommonとUncommon

大衆とは「平均人」のことなのである。こう考えることによって、先にはまったく数量的であったもの、つまり群衆が、質的なものにかわるのである。大衆は万人に共通な性質であり、社会においてこれといった特定の所有者をもたぬものであり、他の人々と違わないというよりも、自己のうちに一つの普遍的な類型を繰り返すというかぎりにおいて人間なのである。

オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』

夏目氏の論ずる所に従い智を蓄えることを行えば、社会の上位存在となることができるのだろうか。

氏は著「学問のすすめ」の中でそのことに言及しているが、その論にはここでは立ち入らない。

ここで問題にしたいのは、「智」を蓄えることの社会的意義についてだ。

書を読み、世界の物理について考えを巡らし、道徳一般を修め、実践する。
そんなことを「智」と仮に定義してみた時、そこにはどんな価値が生まれるのだろうか。

人間の一般価値観に照らした時、それが大に尊いことは考えるまでもない。

だがどうだろう。人間的に優れているということ、それ自体に価値はあるのだろうか。換言すれば、どうやってそこに価値を見出し評価すれば良いのだろうか。

私はその価値の本質を、レアリティにあると考える。
即ち、他人には出来ないことが出来るという点において、彼は他人に優れているのだ。


オルテガ・イ・ガセットは大衆のことを「平均人」と定義している。

この論理を紐解けば、「平均を脱すること」が「脱大衆化」を果たす方途であることに気がつく。

夏目氏は「智」を蓄えることでもって愚人(大衆人)から脱することを訴えたが、ここにオルテガ氏の考を混ぜ合わせれば、何も愚人から脱皮する手段は「智」に傾倒するばかりではない。それは手段の一つでしかないのだ。


「一般」の訳語は Common である。
踏み込めば、大衆の一員であることの条件はこの Common性を所持していることと言えるだろう。

対して、「希少」「卓抜」の訳語は Uncommon である。
その接頭辞 Un による否定が表現するように、「希少」とは「一般」の否定である。


どこを目指して人生を歩むかなど人の自由ではあるけれども、社会の上を志向する気持ちが多少なりともあるのであれば、Uncommon の意識を持つことは少なからずの益をもたらしてくれるように思う。

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