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一人じゃないからね。わたし達がいるよ、どんなときでも。誰一人でとしてあなたを置いていかない。

あなたを一人にしない、置いていかない。いつでもわたしはここにいて、あなたのことを見守っているよ。
そんなことをさらっと言える人にわたしもなりたい。
なりたいって願うだけなら誰にでも発信できるし、思うことは自由。だけどそれじゃあ何もせずにいるこたとと同じって考えてるわたしは、どうにか動きたい。

「わたしには何ができるんだろう?」考えた末に自分らしくあることかな、とかしか答えが浮かばなくなっちゃうの。小さなことでも一滴ずつ、できることを日々考えて実践している人を見ていると、「なんでサラッとそういうことができるんだろう?」ー
思いやりの形は人それぞれなのに、わたしにとってドンピシャなことをしてくれる人達にいちいち驚いていました。

何で、どうして、わたしだけ。思いも行動も人のためにできることがあまりにも少な過ぎるの?

…あまり自分のことを悪く言って自分をいじめるようなことはしたくないんだけど、密かに抱いてきた「気遣いを形にできない」っていうわたしなりのコンプレックスがあったんです。

その気にしぃなところは、普段から顔を出しているわけではなくて今回のように何かのきっかけがあって、初めてこんにちは、って顔を覗かせる。
わたしにはあまりにもできることが少ない。ダメかも、と。

そんな中にいても落ち込む材料をかき集める力だけはあるから、実際自分の心がどうしたいのか、どう生きたいと願っているのかわからない。
本当は誰かのために行動できてるはずの自分のことを気分のアップダウンとか周りと比べることで自分の気持ちをドン底まで突き落としたりとか、そんな些細なことで嫌いになったりする日もあるかもしれない。

少なくとも、わたしの場合は、そんなこともある。
輝かしく表舞台で活躍している人を見て、「ああ、すごいな〜」なんて思える日もあれば、「何やってんだろ、わたし…」と落ち込む日もある。
物の捉え方は、お弁当や定食と同じで日替わりなんだね。そんな日が、あってもいい。
…何の話だったっけな?

何でこんなことを書きたくなったかっていうと
実は今日、ミュージカルを観に行きました。
その主演の方達に心動かされ感動して、久しぶりに「書いてみようかな」の気持ちになれたのと、ミュージカルを観ていたことで、わたしの中に今いる綺麗じゃない感情を、そのミュージカル中は和らげられていたから。

わたしは性格上、「助けて」「もう限界」「無理」って言葉を発することが家族以外にあまりできていません。良くも悪くも、家族には、負の感情もプラスの感情も全てではないにせよ言えるってこと。
それは裏を返せば、「何かあっても元サヤに戻れる」って確証があるからだと思うのです。

でも、家族以外の集団、例えば友達だったり職場の仲間だったり、あまり自分のことを大っぴらにしていない人に対しては、「わたしを受け容れてくれるのだろうか?」「怖い」「わたしが思ってるふうに物事を捉えて貰えなかったら」という不安ももちろん、ないわけではない。

でも、そのままの姿を見て言葉なき言葉(例えば表情なり仕草なり)で、相手がわたしのことを100%わかるかっていうと、それは無理な話であって、…どこまで自分の情報を相手に提示するか、難しいところではあるんだけどね。

   *

主人公ハチドリが燃え盛る森の中に一滴、雫を持ってきた。 
何をするの? 成り行きを見ていると、雫をその燃えている中に落とした。「たかが一滴、されど一滴」、なんだな。
人からしたらどうでもいいことに見えるようなことでも、積み重なれば大きなことになる。
一雫、水を垂らしたからって森の火災がなくなるわけじゃない。
でも、その何倍もの水を持ってきては掛けて、持ってきては掛けて、を繰り返していると世界はきっと変わるはず。
ハチドリミュージカルで教わったこと。
大事なことなのに忘れかけてた、こと。
自分がこの世界をどう見てどう感じて感情の赴くまま生きるか、よりも
自分がこの世界に心地よくあるために何を我慢にするのか、って考え過ぎてたんだね。

ある人が、仰った言葉。
「大変を面白がれる状況にしよう、そのためにはここで全部ぜんぶ、吐き出してしまってもok」

「大丈夫じゃないって、伝えてくれてありがとう」
「わたしがその言葉をバトンとして受け取って、また次へ繋げていくね」ー。

「なんて優しい言葉なんだろう」
「人と人が繋がると、こんなにも温かい気持ちになれるんだね」ってあの感覚が蘇ってきたり、言語化できてないわたしのぐちゃぐちゃな心の中を「一緒にお掃除するよー」と行動してくださるその方は、出会ったそのときから何にも変わってなくて、ほっとする。

「大人もこどもも根っこのところは思うこと、同じなんじゃないのかなぁ?」

わたしの悩みとか、ただひたすらに耳を傾けてくださってて… 今もまだモヤってした感情は完全に消えたわけじゃないけれど 話を受け止めてくれる人がいるか否かで心の持ちようも180度変わってくる。

わたしは文章を書くことで、あなたに
あなたがわたしに届けてくれる文章が心を動かしてくれるように、人によって伝えたい内容は、届けたい気持ちは形にして残っていくんだねってわかること。

“わからないこと”から“わかること”へ、自分の知識が増えたとき、人はキラキラしてるふうに思える。
瞳が輝いて、「こどもに」「童心に」帰っているふうにも見える。

わたしが新しい情報を、何か手に入れられたとしても、わたしには今、その心の余白がなくて
どうしたらいいのって焦って不安でパニックで。
本音を言えば、泣きそうで、涙腺がどうにかなりそうだったから堪えることに必死だったんだけど(笑)
それでも「架け橋」となる人へ思いを伝えられてちょっとだけ。

一瞬だけ一筋の光が見えたら、また消えて…
そんな瞬間が確かにあった。

光がチカチカしたら暗闇で
暗闇やと思ったらまた明るいキラキラした場所へ出て… そんな毎日を繰り返すのかもしれない。

気持ちも日替わり、行動も日替わり、定食続きで飽き飽きしてるキミは大丈夫、きっと優しい大人になる。
わたしも今日、どろどろな気持ちをー
ちょっとだけ少なくできたんだからさ。
「わたしにできて、あなたにできないこと」
「あなたにできて、わたしにできないこと」
どちらもこの世には存在なんてしないのだから.
前向いて歩こ?

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