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自分のことを「話したい」大人達と「知ってほしい」こども達。

学生らしい格好をして、問題を起こさずに生活を営む。平凡だけど生徒を「育てる」立場にある教師達にとっては大切とされることが、実はわたし達こどもにとって大迷惑な話だったりも、する。

わたしはもう働いてて生徒ではない。
けど、ネットフリックスで映画を観てるときにビリギャルの工藤さやか(有村架純さん)に思わず共感してしまった。

わたしにとっての中学校は、大人が主とされていて、かつてのわたし達のようにこどもがオマケみたいなとこ。

「大人のいうこと聞いてりゃいいんだよ」じゃないにしても、それに似た圧があること。
わたしの話がドラマを見ながら過去の自分と重なったから、少し話をさせてください。

     *  *  *

ひとりでいたほうが、マシだと思った。
世界中どこを探してもわたしのことを上辺しか見てくれない人が、当時は多かった。
上っ面のいい顔だけ見せてわたしを油断させ、心をこじ開けようとしてくる奴らがたくさんいたの。

わたしにとっての中学校という場所は、「楽しさ」「充実」「共育」という言葉とは無縁だったし、友達も先生も、唯一の味方である自分も
何もかもが信じられなくなっていたんです。
蓋を開けた箱の中身は、全部敵。

「家を出たら七人の敵あり」
そんなふうに考えていました。
優しいとこあんじゃん、とわたしにちょっとだけ思わせておいてあとで思いっきり裏切る。
周りがみんなそうだったから、余計に警戒心強めだったのかもしれない。
「近づかないでオーラ」が出てたとわたしの中学時代を知る友達は言う。
今は交流がないけど、ささくれてて可愛げがなかったなと自分でも思う。

当時は、心の扉を開けたら友達ができるかもしれない期待とは裏腹に、「一度信じたとしても裏切られるのが怖い」「自分のことを全部知ってるわけじゃないでしょ」と相手のことを疑ってしまっていた。

こっちから話しかけるようなこともしないから、何考えてるかわかんない、って周りに思われてしまうし、「じゃあわたしからは話さないでおこう」という悪循環になっていました。

周りから、冷ややかな目で見られることが怖かった。
それを、ひとりで誰とも口利かないで心のシャッターを閉ざしてると自分を守れてるように思えたのかもしれない。

それと同じにさやかも、ああちゃん(お母さん)には何でも言えるけどお父さん(息子とお酒以外に興味ない)には相談どころか十何年も自ら話しかけに行くなんてなかったんじゃないかな。

何でも相談できるならそれに越したことはないけど、人によっては言いづらいことだってもちろんある。

学校の先生からもさやかは「このまま学校に籍を置いておく必要があるんですかねぇ」と冷ややかに言われ、何度もああちゃんを学校に呼び出しては親子まとめて恥をかかせようとしていた。

「親御さんも、何度も何度もこうやって呼び出し喰らって恥ずかしくないんですかぁ? ダメな子はいくら手をかけたって…ダメなんです」と
わたしならブチギレてるだろうなぁって思う言葉を使って、ジワジワと親子を追い詰める。


それでもああちゃんは、さやかに伸びしろがあろうがなかろうが信じ続けた。「やりたいことやらせてあげたいんです」「慶應に受かるか受からないかは関係ないんです。さやかが何かに夢中になることが重要なんです」とも言ってた。
結果、さやかは家でも塾でも勉強しすぎるあまりに学校で寝るしかなくなった。

担任公認で学校を練る場所にまでさせた。

学力判定模試で難関とされる慶應大学文学部も、何度もやめといたほうがいいと言われたのに、夢を諦めさせなかった。

大人の事情で、こどもに夢を背負わせる。
あってもいいのかもしれないけど、それが行き過ぎると夢が叶わなかったときに「最初からあんたは伸びしろがなかったと思ってた」と自分を納得させるために使う言葉として、相手を傷つけてしまう。

ひとりでただ、孤独を背負うよりも
相手に期待されない孤独のほうが大きいし寂しい。だったら…と感じてしまうさやかの気持ちに共感したんだ。

学校も塾もお父さんも勉強も。
何もかもがダメだったさやかは、誰よりもダメな自分を自覚していた。
だから余計に正しさを上回る優しさで自分に接してくれる大人に出会いたかったんだよね

ケーオーに行くため真剣に勉強し始めるさやか

わたしも早くにプロと呼ばれる人達に、「さやかのように出会えてたら」と小さな自分に言葉を贈る。

わたしが今の事業所や放課後デイサービスと関わりを繋がりを持ち始めたのは高校二年生の終わりかけだった。
まだ警戒心も強くて、周りのこと気にしてられるほど「自分」を強く持てていなかった。
人に気を配る余裕なんてあるはずもなかったんだ。

人を信頼できる
信用できる
この人なら、と安心できるようになったのはここ四、五年の話。
丁度今、勤めている職場(が関わっている放課後デイサービス)と出会うまでかなり時間がかかった。


そう。
さやかが塾講師と出会って、ちょっとずつ話ができるようになったみたいに、わたしも人を「疑う」ことよりも「信じる」ことの大切さがわかってきたんだ。
いままで疑ってきたみんなに謝りたくなって、誰もが否定されない小さな「国」を、「王国」を作りたいって思ったの。

ひとりでも、ダメダメな自分のことを丸ごと「わかって」はくれなくても、寄り添ってくれる大人達がいると勝手に時間が湧いてくる。

「“人だなぁ”って思うんです」と
ある方がいつも、歌うように言うその言葉が
自分なりに補足してわかってきた。

人。
ひと。
ひとつの繋がりから得られる「安心安全の繋がり」なんだと ー わたしは、思う。

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