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エッセイ『そんな人』


「そんな人、誰が採用したいと思う?」
…そう言われた時、それまでの人生はすべて否定された。少なくとも、その時の私はそう思った。

 あれは5年前、高校3年の私は、地元の国立大学の公募推薦のために日夜、小論文や面接練習に励んでいた。
もしかしたら、あの時がこれまでの人生で一番、頑張っていた時かもしれない。

 試験の1週間ほど前に、高校で教師3人を面接官に見立てた模擬面接が行われた。あくまで模擬だが、高校3年の私は緊張に震えながら、面接に臨んだ。 
練習の通り、正直に、自分の言葉で。

 面接終了後、評価を聞く時、真ん中にいたベリーショートの女性教師が、私にこう言った。「(私が自分のマイナス面についても話したことについて)そんな人、誰が採用したいと思う?いい?いつものあなたじゃ受からないの。もっと演技をしなさい。嘘をつきなさい。」

 …私は、そんな人だったのか。この時、はじめて自分が「そんな人」だったのだと思い知らされた。
それまでの私は自分大好き‼︎とはいかないが、自分のいいところ、好きな所は把握していた。1人でも楽しい時間を過ごせるところ。勉強熱心なところ。自分の意見がちゃんとあり、自分のことは自分で決められるところ…。

 そりゃあ、人間だから悪いところだってある。コミュ力が低いとか、飽きっぽいとか…。

 でも、良いところも悪いところも含めて、自分だと思っていた。だからこそ、面接では正直に話して、ダメなところは大学で精進します‼︎っていう話に持っていこう、と思っていた。

 …正直に話した結果が「そんな人」認定だったのだ。
正直に話して、そんな人ってことは、私は正真正銘の「そんな人」なのだ。

 18の私は絶望した。この模擬面接での「そんな人」認定がキツすぎて、本番での不合格など、どうでもよかった。 

 もともと大して楽しくなかった高校生活に「そんな人」事件が重なり、この頃の私はいつも死にたかった。スマホを開けば、死に方ばかり調べていた。自殺の仕方が書いてある本も買った。 

 でも、わたしは今、生きている。なぜなら、綺麗に死ぬ方法が見つからなかったからだ。ドラマなどでは、自殺した人も綺麗な顔して死んでいるが、現実には難しい。18の私は元々大した面じゃないくせに、綺麗に死ぬことに命をかけていた。


…あれから5年、
思うことが2つある。

1つ目は、「そんな人」なんていう人格否定の言葉を使わなきゃ生徒を指導できない教師もまた、「そんな人」なわけで、「そんな人」の言うことを真に受ける必要はないってこと。
これは18の私に言って聞かせてやりたい。
そう言ってくれる人が周りにいたら違っただろーな。

2つ目は、生きててよかった、ということ。
生きていなければ、大好きなKing Gnuの曲を知ることはなかった。私の人生のバイブルであるドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』(坂元裕二さん脚本)を観ることもできなかった。
生きる目的って、夢とか大それたことじゃなくたって、こういうことでいいんだ。これから先、もっともっと魅力的な曲やドラマ・映画に出会えるかもしれないもんね。



 …5年前に「そんな人」認定された私は今、大学4年。もうすぐで卒業。
なんとかここまで生き延びたが、就職活動もせず、ふわふわとした生活を送っている。
 あの教師がした「そんな人」認定は当たっていたのかもしれない。

 でも、今私は生きてる。それでいい。私の人生だ。誰にも文句を言う権利はない。

「そんな人」で何が悪い。



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