夜空に星座を描くように

これは私の知識がいつもどのように広がっていくのか、その過程を示す指標となる文章です。
私は常日頃から進むべき道、選び取る事柄に迷った時、過去の自分を思い浮かべ、少女だった頃の彼女に恥じない生き方を選び取ってきました。
それを聞いた人は「自我が強いね」とか「自分が好きなのね」と言います。
当然です。私は過去の自分の集積です。彼女たちが積み重ねてきたものの上に私は立っていて、そして未来の私のために私も積み重ねていかなくてはならないのです。
もしも私に子供が出来て、その子に「何故勉強するの」と言われた時、この物語を聞かせるのでしょう。しかし、この物語はまだ結末を迎えてはいないのです。

始まりは、恩田陸の「象と耳鳴り」という短編小説でした。
中学生の頃にクラスメイトに進められた恩田陸の小説の世界に惹かれ、全ての作品を図書館で読み漁っていた私が、文庫として新たに出版されたその作品を祖母に勧めたのは、
ひとえにその小説集のなかに祖母の住む仙台市街の描写が含まれていたからです。
祖母は、私がその本を勧めた翌週には読み終えておりました。
そして、当該の短編小説とは別に収録されていた小説について言及してきたのです。
「フェルナンデスの月の出、あなた知っていた?」

そう問うた祖母の言葉が、私を長い航海に連れ出しました。
当時私は高校2年生。日本で一番むずかしいとされる(内実はさておき)高校に進学し研鑽を積んでいるところでした。
「知らない」そう素直に答えた私に、彼女は小説で出てくるのと同じように絵葉書を用いてその写真を示しました。
黒い夜空に浮かぶ月。その光に照らされた白い十字架の群れ。黒い夜空はどこまでも宇宙を留めています。
アンセル・アダムス。その写真家の名前は、それからのち私の人生のところどころで顔をだすのですが、まだそれを私は知りません。

祖母の葉書に魅せられた私は、休日に単身赴任から帰ってきた父にそれを伝えました。
父は写真を撮る人です。彼は私を書斎に招き入れ、アンセル・アダムスの写真集を幾つか手渡しました。小さい頃に遊び場にしていたとき気にも留めなかった本たちは、壁二面天井まで届く本棚に収まり、静かに眠りについているように見えました。
古くなって固まった重たい背表紙は、私が表紙を開くと僅かに軋み、大きく伸びをしました。
ただの文字の羅列も、事象を記した写真も、それに私が能動的に働きかけようとすると途端に違った側面を覗かせるのです。
私は週明け放課後に大学図書館へ赴き、写真についての本を片っ端から読み漁るようになりました。

中学生の頃、時を同じくして私は嶽本野ばらの小説も読んでおりました。
学校に馴染めず、しかし矜持だけは高く持ち続けていた頃です。お友達のいない孤独な学校生活を支えてくれていたのは、嶽本野ばらの提示する美意識でした。
自分を曲げてまでクラスメイトと四六時中仲良くしたいと思えない一方で、私は強烈に友人を求めていました。
「ミシン」という小説の中に出てくる「手術台の上でのミシンとこうもり傘の邂逅」のようなものがいつか私の周りにも起こるのではないかしら、と。
求めるものが手に入らないことを知るのが思春期だとしたら、私は忠実にその時期を送ったと言えます。手に入らないものに恋い焦がれ、その気持ちを押さえ込みながら、肥大する自我と戦っていたのですから。

図書館に足繁く通う高校生の私に、東京の大丸の展示会場で20世紀の写真家の展覧会が行われることを教えてくれたのは、図書館でアルバイトをしている大学生でした。私がしょっちゅう写真集を借りていることを知っていてか、ある日貸出手続きを終えた本の中に栞と共に招待券と手紙が挟んでありました。私は次に図書館に寄ったときに、返却の本の上に待ち合わせの時間と場所を書いた手紙を載せて手渡しました。

アンセル・アダムス、マンレイ、ユージーンスミス、ヘルムート・ニュートン。写真集で見るのと、実物はやはり違います。大学生の彼はトロンボーンを吹く人で、銀塩写真を見て「楽器もこういうふうに撮ってみたいな」などと興奮していました。彼とはそれからも何度か演奏会に一緒に足を運んだり、一緒に学校からの帰り道を歩くような仲になりました。

そんな折に音楽史の授業はありました。
武満徹「鳥は星型の庭に降りる」
この作品が音楽史上でどのような位置付けにあったかというような学術的なことはさして重要ではありません。私は授業のプリントでそのタイトルを目にした瞬間、とてつもないデジャヴに襲われたのです。
私は帰宅すると着替えもせず本棚の前に腰を下ろし、この間の展覧会で手に入れたマンレイの写真集を開きました。
そこに現れたのは、男性の後頭部を映し出した写真。その後頭部は星の形に剃りあげられております。タイトルを見ると〈剃髪〉。
どうしてこの写真に惹かれたのだろうと思いながら次のページをめくると、そこにはデュシャンの肖像画が載っておりました。私はふと思い当たり急いで音楽室へ移動し、母のLPの棚を漁り始めます。
果たしてそこには武満徹のLPがありました。LPの解説を読むと「この作品はマンレイが撮った、星型に剃られたデュシャンの後頭部の写真からインスピレーションを受けて作曲された」という文面が記されていたのです。
LPを脇に寄せ写真集のページを再度捲ると、そこにはミシンと蝙蝠傘の写真が載っておりました。

学校の授業で受動的にもたらされた知識と、自分の心が求める知識が結びついた時の衝撃は、なんて強烈なのでしょう!!
眼の前に落ちているきらきらした綺麗な石を拾い集めながら道を進んできたら、その先に昔から知っていた人が待っていたような気分。しかし、その人を見上げる私の目は確実に違ってきているのです。
興奮が手足の先まで広がります。自分の身の内に世界が収斂していくような、しかし自分が加速して広がっていくような、不思議な心地がしました。

数ヶ月後、図書館の彼と待ち合わせて駅まで歩き始めたとき、彼は私にイヤホンを手渡しました。
「エワイゼンのこの曲、知ってた?」
晩秋の公園を、授業を終えた学生たちは足早に駅へ向かって去っていきます。イヤホンから聞こえてきた曲は初めて聞く曲でした。私の周りには夕焼けが広がっておりましたが、耳からじんわりと真っ暗な夜空が広がっていくような心地がしました。先週、彼は演奏審査でエワイゼンのトロンボーン協奏曲を吹いたばかりでした。エワイゼンの作品は、どれも内容が無い印象を受けましたが、それでもかっこよかったので、他の曲も聴きたいと思っていたところだったのです。
「エワイゼンがアンセル・アダムスの写真からインスピレーションを受けて作曲したのが、この曲なんだって。この間一緒に見た写真も入っていた。たまたまCDを聴いていたら見つけてしまって、君に聞かせたいと思ったんだ」

世界はなんて美しいのでしょうか。
手に入れた知識、感じた記憶を結んでいくと、そこには星座のように壮大な景色が浮かび上がるのです。
それはまるでクリスマスの贈り物に隠された秘密のようにきらきらしていて、しかも一人ひとりが自分のために描くものなのです。
目を閉じると、私に知識を授けてくれた人々の暖かさが去来します。彼らが手渡してくれたものが私の中で実を結び、花開くのです。
ふと、中学生の頃に私に恩田陸の本を貸してくれた級友の顔が思い浮かびました。行方も知らず連絡先も知らない彼女は、私の友達では無いけれど、それでも私の心にひとつ、灯りをともしてくれたのです。

手術台の上でミシンと蝙蝠傘が出会ったのは、偶然などではありません。そこには見えない糸が確かに結ばれていて、その糸の響きを聴き取れるものだけが、その出会いに気がつけるのでしょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?