蛤吐いた蜃気楼

恋い焦がれていた御仁との念願叶った逢瀬の晩、食後に辿り着いた公園で躊躇いがちに私の手に彼の手が重なり、引き寄せられるように口づけをいたしました。
薄眼を開けると港には船、空には飛行機。きっと遠くの土地へ向かう途中でしょう。空気を震わせながら私達の周りを通り過ぎてゆきます。
そこにはなにも契約を裏打ちするような言葉も書面もありませんでしたが、
私はそれでも構いませんでした。
だって、彼が口移しで渡してくれた想いは私の心の呼応するものでしたから。
彼が溜息をつく度に、港の向こうに蜃気楼が浮かび上がっていくのがわかりました。

自分の心の内を目の前に艶やかに広げてもらえる喜びは、魂を震わせるほどに嬉しいものです。
身体はここにあるのに心だけが別の次元で邂逅を果たしたように、
兼ねてから探し求めていた心の1ピースを手渡されたかのように、
私の心は彼に取り込まれることで始めて完全な形となり私の前に現れます。
こんなに幸せな人は地球上できっと私だけ。
そう思いながら私は彼の唇の感触に集中します。

知っています、きっと誰しもがそんな気持ちを抱いたことがあるということを。だって、その公園には私達以外の男女もあちらこちらで接吻を交わしておりました。
しかしその晩公園を覆った桃色の空気の多くは、時を経るにつれ消し去りたいほどに忌々しい過去と成り果てたり、無知ゆえの勘違いだったと判明したりするのです。

蜃気楼が消えてからならわかるのです。
甘い言葉の裏側だって、それを思い込む時についた小さな嘘だって。隅っこに巣食っていた黒い闇とか、巧妙に目をそらされていた虚無のような場所とかも。
蜃気楼は一人では完成しないのです。
心は、相手がいてどんどん広がるものなのです。
それがどんな展開を見せたとしても、二人で生み出したものには違いありません。それならば、私一人では知らなかった景色を見せてくれたことくらい感謝を捧げてもいいかもしれません。

私は他者と分かり合えたと思う時、我慢できないくらい嬉しくなります。
それが幻であったとしても、私はもう責めることをやめようと思いました。
美しい蜃気楼が消えてしまったからといって、胃の中に収めた蛤を非難するのはお門違いです。だって、私が食べてしまったのですから。
腹を撫でる私は蛤にこう囁きます。
「私と付き合ってくれて、私と別れてくれてありがとう」

いまそばにいる蛤は、私に食べられることをよしとしません。
代わりに、私に蜃気楼を吐く方法を教えてくれました。私も立派な蛤です。
夜な夜な私達は一緒に蜃気楼を吐きます。ふたりの唇から漏れた吐息は交わり、ひとつの夢になります。
その夢はやがて、本物となって私達の手で形作られるのでしょう。

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