me tooなんてだいっきらい

かつて私の心音を聴こうとした医師は、衣服をたくし上げる私に向かって

「それでは診察ができない。もっとまくり上げろ」と言った。

留学する数週間前のことだった。提出しなくてはならない健康診断書の期限が差し迫った日、クリニックの除湿機は低い音を立て可動していた。

「これくらいまくれば十分に診察できるはずです。どうぞ」

最近の健康診断では衣類の上から行う医師もいる。その時私は下着を脱ぎ、診察用の衣類に着替え、その衣類と服の間に手を入れられるだけの隙間を作っていたのだ。

「だったら診察は無理だ。帰った帰った」

医師はそう言い大きなため息を付くと、自身の体重を椅子に預けて机の方を向いた。椅子は鈍く軋み、重苦しい沈黙の底を除湿機の音が揺らした。

背後にかしずく看護士はまるで巫女のように目を伏せ静かに立っている。

留学準備に追われる中、やっと予約を取れたクリニックだ。ここで診断書がもらえなかったら、私の滞在許可証はいつ降りるのだろうか。

唇を噛み締め「わかりました」と答える。

医師が足で床をたぐり寄せるように近づいてくる。

まくり上げた胸に、聴診器の金属部分が触れる。これで不整脈でも取れたら絶対お前のせいだからな、そう思った。

受付ロビーで会計を済ませる時、事務員の女性が「診察券お作りしますね」と微笑んだ。

「結構です。私、ここにはもう来たくありません、二度と。」思ったよりも強い声が出た。

一瞬の後に後悔が私を襲う。この人に八つ当たりをしたって、意味はないのに。ごめんなさいと言おうと顔を見上げると、事務員は

「わかります。あの先生、気分屋ですもんね」と微笑んだ。

私はだまってクリニックを出た。


電車で屹立した性器を押し付けられた時、私は姿勢を正し立っていた。
うなじをかすめる生臭い鼻息の主を振り向いて確かめようとは思わなかった。
人は言葉によって断罪される。それならば、痴漢と認識しなければ私は被害者にはならずに済むのだ。

卑小な感情に汚されるほど私は弱くない。自分の醜さを思い知って絶望の淵で自殺をすればいい。
首元にかかる鼻息も、太ももに感じる熱も、いつのまにか人混みに紛れ夢のように立ち消えた。

ため息を付き重心を移動させていると、見知らぬ女性が私の手の上に手を重ねてきた。

「痴漢にあっていたわね。大変だったわね」

見下ろしたその人は、少しだけ眉根をひそめていて、しかしその口角には私を安心させるかのような微笑みが浮かんでいた。その微笑みを見た瞬間、私の感情は逆流するかのように体の中で渦を巻いた。


性的な嫌がらせに遭った時、その現場にいた同性は皆「私も遭ってきたのよ、貴女も乗り越えなさい」と同情の目線と共に諭してきた。

看護師も、バスの乗客も。
遡れば、小学校の女子更衣室にいきなり入ってきた男性教諭を庇った女性教諭もいた。
皆、私に向かって「しょうがないことよ」と微笑んだ。
まるで、抵抗する私が物分かりの悪い子だとでもいうように。
「私も乗り越えたのよ。あなたも大変だけどがんばって」と。

あなたたちが若い頃に抵抗しなかったから、私がこんな被害に遭うんだと言ってやりたかった。

同情に依拠する断罪なんて私には不要だ。私の痛みを誰が知ることができる。他者が感じようと感じまいと、それは確実にここに存在するのに。
同情しなくては断罪できないというのなら、私は断罪なんて必要としない。
私の傷は私のものだ。

ただ、私は絶対に許さない。

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