東京盆踊り

生鮮食品売り場のように冷え切った銀色の乗り物の中に入り込むと、一斉に人の目がこちらを向いたので、私は思わず身をすくめました。
知り合いだろうかと辺りを見回しても、そこには誰も見知った顔がないのです。そもそも人が一人もおらぬのです。
不躾な視線を一方的に感じる不愉快さに耐えかね車内をぐるりと睨め回すと、至る所からこちらに視線を寄越す顔の主は中吊り広告だということがわかりました。
一方的な目線に晒され責められているうちに、電車はゆっくりと周回運動を始めます。
発車時の振動によろめくと、背中を汗の粒がつたいました。

広告の向こう側から覗き込む彼らを睨み返しても、彼らはどんな反応も示しません。
私の視線は、時折電子公告の液晶にぶつかり画面を暗転させたけれど、それも束の間のことで、暫くすると彼らは自動的に稼動を再開するのです。

電車は鶯谷を通過し上野駅のホームへ滑り込みます。駅が近づいているというのに、一向に減速する気配がないので訝しく思い、私は窓の外を覗きます。
並走する東北本線の車窓の向こう側に、ボックス席でお手玉に興じる老婆の姿が一瞬見えました。
電車は上野を通過し秋葉原もそのままの速度で駆け抜けていきます。

私は他の乗客の姿を探し、電車の進行方向に添って前の車両へ移ります。
車両の連結部のドアを開けた瞬間、防犯カメラがこちらを向くのがわかったが、意に介さずに乗客の姿を探し求めました。
果たしてそこに人はいました。

アタッシェケースを手に提げ、充実した体躯をスーツに包んだ男性の後ろ姿に、恐る恐る声をかけると、おしゃぶりを咥えた壮年の男性が振り向きました。

「この電車、山手線で間違いないですよね。久しぶりに乗車したら、全然駅に止まらずに快速運転するようになってしまったみたいで」
恐る恐る口を開いた私に、男性は
「今日は盆踊りの日ですよ。盆踊りの日は山手線が盆踊り運行を開始するのは当然でしょう」
と答えました。
どういう意味か訊ねようとしましたが、それは叶いませんでした。男性が喋り終えるとまたおしゃぶりを口に嵌めたからです。
電車が急停止したら危険だろうなと思いましたたが、足元の振動は一向に止まる気配がありません。

誰も座っていない優先席に腰を下ろした私は、どうしたものか思案しました。まずは、次の待ち合わせをしている友人に、遅れる旨を伝えなくてはいけないでしょう。けれど、この状況をどう説明すれば良いのでしょうか。
窓の外に、新幹線が並走しているのが見えます。東京を通過したのです。

考えるのが面倒になった私は、壁に頭を預け、目を閉じました。昔日本に住んでいた頃に参加したことのある盆踊りの光景を、記憶の中から引っ張り出します。

夜の広場の中央に高く櫓は組み上げられ、その周りを浴衣や簡素な服を纏った人間たちがぐるぐると回り続けるのが、盆踊りの概要でしょうか。
幼い頃の淡い記憶には、盆踊りの締めくくり方などありません。きっと、疲れ果てた幼子は親の背中で眠りながらお囃子を聞いて帰路に着いたことでしょう。
山手線が盆踊りをしているとしたら、それの終焉も恐らく盆踊りの風習に習っている筈だと思い、もどかしさについ脚を貧乏ゆすりしていると、頭上に影がさしました。

「まぁ、この子ったら踊りもせずに優先席で眠りこけているよ」
頭上から嗄れた声が降ってきたので驚き身を立てると、そこには顔面を血だらけにした老婆が立っています。
彼女の後ろにはいつのまにかおしゃぶりを咥えていた男性がいて、おもむろにおしゃぶりを胸ポケットに収めると、マイクを手に取り、カラオケを始めました。
電子広告の画面に一斉に歌詞が流れ始めます。男性は誰に目を向けることもなく、一心不乱に進行方向を見つめ続けます。
遠くから、老婆がお手玉を宙に放りながらこちらに近づいてきます。その背後にいるのは、飛び跳ねる女の子所謂キョンシーでしょうか。

加速し続ける車体の中で、体に遠心力がかかってくるのを感じました。
力の中央には櫓があります。
櫓から視線を感じます。
でもそこにそびえ立つその存在を見ることはできません。
お祭りが終わる頃、ようやく櫓は解体されるのです。
どんどこどんどこ、祭囃子が賑やかです。

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