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霞が関 〜裁判傍聴記〜


東京の霞が関という地域は、国会議事堂がある他にも、財務省、経産省、法務省、総務省、国交省、文科省、厚労省、農水省、環境省、警察庁とその付属の政府機関、東京高裁、民間では日本郵政など、主に省庁が混在しており、そこで働いてる方や関係者以外は、用事がない限り、ほとんどの人がわざわざ行く場所ではない。

ところが一般人が無料で入れ、アトラクションが何もないのにも関わらず、非日常的な体験ができるスポットが実はある。それが「東京地方裁判所」「東京家庭裁判所」だ。
(よく芸能人の裁判などで、20人の枠に6000人が集まったりするアレです。)

私が初めて裁判を傍聴をしたのは、7年前くらいだっただろうか。前々から興味はあったが、何せお役所であるため、営業時間は平日の8時半から17時。
自分は、その時間仕事をしているため、なかなか訪れることができない。特に誰かの裁判があるから見たいというわけでもなく、やっと取れた有休の日に霞が関に出かけ、朝8時半の開門を待った。
地裁の入り口では簡単な手荷物検査があり、そこを通るとすぐに中に入れた。そしてその日の、どの部屋でどんな裁判が行われるかの、裁判のスケジュールが見られる一覧表があった。

私がそれを見ていたら、見知らぬ人に声をかけられた。私が一見さんとすぐにわかるのだろうか。
その方は、勝手がわからない私に、今日のおすすめ裁判⁉︎を説明してくれた。これは人気が高いだろうから、早めに席が埋まるので20分前には部屋の前でスタンバイした方がいいだとか、これが終わる頃にちょうどこっちが始まるから、その流れがいいだとか、まるでそこで働いている案内人かのように詳しい人だった。一体何者なのか?

バッグを持ちスーツを着た30代くらいの男性。
私には、普通のサラリーマンにしか見えない。
身なりもきちんとしている。なぜそんなに小慣れているのか私は聞いてみた。「ここへはよく来られるんですか?」
すると、「もう1年、毎日通ってます。」
「えっ?傍聴をしに毎日?1年??」
なんと案内人もどきの男性は、就活をしながら裁判所の傍聴に通っていたら、就活よりこちらが楽しくなって、今はもう就活をしていないというただの無職の人だった。「それでも毎日スーツを着るんですか?」と聞くと、「はい。何か習性で。」と言った。

ここは、毎日来たいと思うほどの場所なのか?と私が驚きを隠せずにいると、「丸一日いてもここは退屈しないですよ。昼食は地下にある社食を使えます。」と、いろいろな裁判所情報を教えてくれた。
後からわかったことだが、「傍聴マニア」というドラマまで存在しており、実際の現場も、そこはまさに顔見知りのマニアの方たちの集まりの場であった。「おはよう。」などと言って、一定のグループが声をかけあっていた。
しかし私の興味は、何より現実に起きている生の裁判にあった。

とりあえず、毎日通われている男性から言われた通りのスケジュールで動いてみた。最初に傍聴をしたのが、電車で痴漢行為を行い、陪審にかけられた40代くらいの男性。
なぜ事件が起きたか、防げなかったのか、これからどうしていくつもりか、などのやり取りが淡々と進んでいく。
最後に、判決が言い渡され、裁判長のお説教のような話で締まる。

そして、また別の部屋で始まる裁判を見るために移動。事件の被告人の家族が涙ながらに「うちの息子は本当にいい人間なんです。」と話す。
だけど一通り聞いた限り、私には同情の余地がない案件だと感じた。でも、何をやらかしたって親というものは、庇ってでも子の味方をしたいものなのだろう。

他にも、薬物所持で捕まった方の裁判など何件かの裁判を傍聴したが、私が強く感じたことは、自分はいつもこちら側にいて、事件を起こした人を見ているだけだが、人生において、いつ自分があちら側になってもおかしくないということだった。
誰だって自分が罪を犯すとは思わず、気がついたらそうなっていたということの方が多いのではないか。
自動車を運転していて人をはねてしまったら、その時点で私は加害者になる。
それが自分や家族の身に本当に降りかかったら、どんな気持ちになるのだろう。
いろいろな感情が頭の中を渦巻いた。

そして、人気だから早めに並ぶよう言われ向かった部屋は、午前中に入った部屋の2倍くらいの大きさがあり、それまでにはない緊張感も伝わってきた。ただごとではない。
それは、とある殺人事件だった。それまでの被告と違い、足枷や手錠がかけられ中に入ってきた。
私は、被告人の顔をじっと見続けた。
この人が本当に?何で?何があったの?報道はされたのか?疑問ばかり生まれてくる。
普通の人にしか見えないその被告人に対し、裁判官は、被告が犯した犯罪を突き詰めていく。
そして、私はやるせない感情が湧き出てくる。

どの事件も、その時期に起きたノンフィクションだ。私は、人の不幸を笑いたくて来たのでは絶対ない。丸一日裁判所にいて、それぞれの人生を部屋ごとに感じる中で、これは他人事ではないということ、人にはそれぞれ異なる事情があるのだということを体感し、家路に着いた。

自分が想像していたよりずっと、人生の複雑さを感じ、長い映画を観たような気がしていた。
まさに、一寸先は闇だ。何があるかわからないのが人生。
その後も何度か地裁に足を運び、事件について調べたり考えたりした。

何事にも原因があって結果がある。
2009年から始まった裁判員制度に当たった方は、今までどのくらいいらっしゃるのか。私は、会社を休んで行くのを待っているが、一向にお呼びがかからない。
自分が人を裁く立場になったら、情を消し、本当に正当なジャッジができるのかわからない。
でも、ジャッジされる側にだけはなってはならない、と肝に銘じている。

#裁判 #傍聴

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