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可能性を広げるって何?

中学受験は、自己成長のための一つのチャレンジに過ぎなかった。

SAPIXという有名な大手中学受験塾、そこにどんなきっかけで入塾テストを受けに行ったのか、その記憶は定かではない。しかし当時全く解けなかった入塾テストの感触と同じかそれ以上に、体験授業の衝撃が大きかった。

学校の授業しか知らない私は、その時初めてプロの塾講師の授業を受けた。内容自体はあまり記憶にないのだが、その先生がとても楽しそうだったのは鮮明に覚えている。一方通行の説明ではなく、生徒とのやりとりを通して授業を盛り上げていく、というその授業スタイルに惹かれた。

その先生の授業を受けたくて入塾したのだけれど、先生が成績上位のクラスしか受け持っていないということを知ったのは入塾後のことだった。15程ある全クラスのうち下から4番目のクラスだった私は、その先生が受け持つ最上位の3クラスを目指して必死に努力した。そして、半年くらいで、だいたい上から2〜3番目のコースに入ることができた。塾の授業は楽しく、充実した日々を送っていた。

そのうち、塾で進路相談の三者面談があった。そこで先生から「もっと上を目指せる」と志望校の変更を提案された。その学校は、圧倒的な東大合格者数を誇る超名門校だった。当時の私の志望校は中堅レベルの学校で、(その理由は大学の附属校だというそれだけだった)それはトップクラスに在籍していた私にとって「もったいない」とのことだった。加えて先生は、長期休みの特別講座などでは志望校別クラスになることから「今のクラスのMikaさんのお友達はだいたい桜蔭コースだから、その(偏差値が低い方の)コースだとクラスメイトと話が合わないでしょう」などと言って私をやる気にさせた。


正直、小学生が、自分で、どんな中高で学びたいかなど自覚するのはとても難しい事だと思う。だから私はどの学校の文化祭に行っても、楽しそうだと思った。いいな、入りたいな、と思った。逆に言えば、「ここでなくてはならない」という強い入学の意志を抱く学校はなかった。だから周りが勧めた志望校をその通りに受けた。

そして努力のせいか運のせいか、受けた学校は全て合格した。そして周りの大人が言った、「可能性を広げる」ために、その中で最も偏差値の高い学校に入学した。


果たして、その日本最難関の女子校で私の「可能性は広がった」のか。自分の力で努力して掴み取ることができるチャンスは大体手に入れた。でも結局……。将来の進路を選ぶといったときには「可能性を広げる」ために偏差値が高い大学を受けるような指導を受けた。桜蔭に入ったのは「可能性を広げる」ため。それは、医者にも弁護士にもなれるような基礎的な学力や教養を身につけながらも、冒険家になって世界を飛び回ったり、アーティストになって違うフィールドで生きていくという選択もできるということを指すのではなかったか?なぜまた同じ言葉を繰り返され、生徒はみな同じような進路で同じように弁護士や医師になるのだろう。それはむしろ「狭まっている」のではないだろうか。


これは世間的には「恵まれた」というのかもしれない。しかし周りの同級生や先輩が皆東大や海外の有名大学に行き、進路指導をする先生たちもまた同じような経歴を持っているという環境の中、私は周りの人のどの生き方にも興味が持てなかった。有名大学であればあるほどに、今の環境と似たような価値観の人間が集まっているということが予想できた。それは、嫌だな、と思った。


周囲の価値観に揺らがずに、自分の信念を持って生きるとはどういうことか。それと真剣に向き合うきっかけは、「『すごい』と世間的な評価を受ける生き方が、私にとって価値があるとは思えない」という学校の人たちと私との埋まらない価値観の相違にあった。


#SAPIX

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