見出し画像

あなたともっと、生きたかった。桜の季節にこの世を去った親友へ。



1年前、親友が他界した。



ちょうど今のように桜が満開で、新しい季節のはじまりに、世の中がそわそわしはじめた頃だった。

家族にも恋人にも、ほかの友人たちにも。誰ひとりとしてこのことを伝えられないまま、わたしは今日を迎えている。




誰にも伝えていないことで、わたしひとりが秘密を抱えて生きているような、後ろめたい気持ちでこの1年を過ごしてきた。

自分が彼女を遠い世界に追いやってしまったような、罪の意識。

仕方のないことだったと分かってはいても、この事実をひとりで心に秘めていることで、その感情をどうしても拭うことができなかった。

ふとした時に彼女のことを思い出しては、心に浮かぶのは「ごめん」という謝罪の言葉。わたしは何に謝りたいのかも分からず、だけどそれ以外の言葉が見つからずにいた。





彼女の死について、今まで誰にも打ち明けることができなかったのは、この事実を受け入れるのに時間がかかり、タイミングを逃してしまったからと言うほかない。

「身近な人の突然の死」というのは、27年間生きていてもはじめてのことで、どのように感情と向き合ったらいいのか、全くわからなかった。

何より、彼女は至って健康で、直前までわたしは彼女とLINEで連絡を取り合っていて、「今度、彼と一緒にお店に遊びに行くね」と約束までしていた。




彼女とは同じコミュニティに属しているわけではなかったから、その後、葬儀があったのかどうかすらも分からない。だから、しばらくは実感が湧かなかった。

旦那さんとは一応面識があるものの、事情が事情なだけに、こちらから連絡するのを躊躇しているうちに月日が流れていた。

「彼女の死」という突然の事実をうまく消化できず、ふわふわと宙に浮いて、わたしの周りを漂っている。そんな感覚を持ちながら、今日まで生きてきた。

1年がたった今、ようやくこうして自分の感情を整理することができるようになり、おそるおそる、言葉にしてみることにした。




***



彼女は、わたしの人生に大きな影響を与えてくれた人。同時に誰よりも、わたしのnoteのファンだった。

わたしがnoteを公開すると、どこかで告知する前に、誰よりも早く記事を読み、長文で丁寧な感想を送ってくれた。

それは彼女の、純粋でまっさらで正直な感想で、わたしはそれを受け取るたびに、彼女のまっすぐな視線と無垢な心の動き、人よりも起伏のある喜怒哀楽を目の前で眺めているようで、届いた感想を読むのがいつも楽しみだった。




彼女は、わたしが今までに出会った人の中で誰よりも心が美しく、心から尊敬していた友人だった。

出会いは高校生の頃に半年間だけ働いていた、パンがおいしいチェーンのレストラン。

お互い生まれ育ってきた家庭環境や境遇が違い、性格も価値観も趣味も、食べること以外は何の共通点もないふたりだった。

同じバイト先の人たちは、たぶんわたしたちが卒業後こんなに仲良くなるなんて、思いもしなかっただろう。





彼女との距離がぐっと近づいたのは、お互いに高校を卒業し、わたしがバイトを辞めてから3年が経ち、大学生活も終盤に差し掛かった頃のこと。

しとしとと雨が降るあたたかな春の日、久しぶりにご飯に行こう、と言って再会した。



彼女はビニール傘の向こうで、「私、看護師やめて、料理人になることにしたの」と言った。

それはまるで春風が吹くような軽やかさで、いまの言葉はわたしの空耳だったんじゃないか……と一瞬不安になり、「え?」と目で聞き返す。



「やっぱり、私は料理が好きなんだよね。仕事としてはまだまだ未熟だけど、挑戦してみたくて。」



その目はいつもと同じ、何の曇りもない透き通った瞳だった。この子は本気なんだ。そのことが、すぐにわかった。

今まであんなに苦労して、看護学校で毎日勉強漬けの日々を送って、資格まで取ったのに。それを全部、手放すなんて……

わたしには、その度胸と潔さが信じられなかった。

だけど、この時の彼女はわたしが見たことのある彼女の表情の中でいちばん凛としていてまっすぐで、美しかった。

この子は本当に、この先夢を叶えるのかもしれない。そう思った途端、なんだかわたしの心まで高鳴る音がした。

そして彼女は本当に料理の道を選び、東京にあるイタリアンで修行をはじめた。





社会人になってからは、お互い休みの日が全く合わないのに、どんな友人よりも定期的に会っていた。

わたしは新卒で広告代理店に入社して、朝から日付が変わるまで会社にいることも多く、土日は人と会う気になれなかった。

だけど、彼女と会う時間は何よりも刺激的で、それでいて自然体でいられ、安心する時間でもあった。




わたしはいつも彼女の休みに合わせて平日に有給をとり、ふたりで色々なカフェやレストランに足を運んだ。

彼女は週に1日しか休みがなく、わたし以上に忙しいのに、貴重な休みの日ですら料理の勉強をしたり、ソムリエになるための講座に通ったりしていた。

そのバイタリティは一体どこからくるんだろう……と感心しながらも、好きなことと仕事がぴたりと一致している彼女のことが羨ましかった。



わたしは彼女にとって、こんなに貴重な休みに時間を割いてもらえるくらい、価値のある存在なんだろうか……?



そんな心配が頭をよぎることもあったけれど、一緒においしいものを食べながらたわいもない話をしていると、そんな感情は徐々に溶けてなくなっていった。

なんの忖度もお世辞でもなく、彼女はいつも当たり前のように、わたしに対して「こういうところがすごい」「本当に尊敬してる」「いつも会ってくれてありがとう」と、繰り返し想いを伝えてくれた。

そんなところも、彼女の美しさだった。





彼女が「人とは違う」ということを確信したのは、千代田線のホームである男女を見かけた時のことだった。

わたしたちがホームに降りた時、数メートル先で女性が「痛い。靴ずれしちゃった……」と、相手にだけわかるくらい、小さな声で話しているのが微かに聞こえた。

普段街を歩いていたら、よくある光景。いつものように、景色の一部として流れてゆくものだと思っていた。



ところが、彼女は違った。



その言葉が耳に入ってきた時、間髪入れずにずんずんとそちらの方へ歩み寄り、バッグからすっと絆創膏を取り出して「よかったら、使ってください」と女性に手渡した。

彼らは一瞬驚いた表情を見せてから、「あっ、ありがとうございます」と丁寧に頭を下げた。

わたしは目の前で起きたその出来事が信じられなくて、彼女が戻ってきて会話を再開してからも、ついさっきまでの光景が目に焼き付いて離れなかった。




目の前に困っている人がいたら、助けるのは当たり前。それが知り合いであるかも、自分に利益があるかどうかも関係ない。

彼女の優しさと公平さ、正義感を目の当たりにして、わたしはこんなにも素晴らしい友人を持てたことが誇らしく、また自分の人間としての器の小ささに、少し反省をした。





数少ない共通の知人である、彼女の元恋人から連絡がきたのは、東京で桜が見頃を迎えた、ある夜のこと。

その日、わたしは恋人と桜を見に行くために、少し遠出をしていた。

途中から彼の体調が悪くなり、スマホを見る余裕がなかったこともあって、突然電話がかかってきたことに少しの違和感を覚えながらも、明日連絡しよう、とそのまま放置していた。




次の日、彼と別れて山手線に乗り、一息ついて「そういえば」と思い出してメッセージを送った。



「返信が遅くなってごめん。どうしたの?」



すると、すぐに返事がくる。




「〇〇(彼女の名前) のこと、聞いた?」




「なにも聞いてないけど……何かあったの?」




そのメッセージに既読がつき、返事を待っている間、ほんの少しだけ嫌な予感がした。

その後、彼から届いたメッセージには「彼女のフルネームで検索してみて」と書かれていて、その予感はさらに膨らんでゆく。

ひとまず、検索する前に思いつく限りの悪いことを想像し、心の準備をした。





もしかして、何かトラブルでもあったのかな……お店のお客さんと揉めたとか?もしくは、食中毒かもしれない。

ひと通り思いつく「悪い可能性」を考え切ってから、心を決める。

100%あり得ないとは分かっているけれど、もし、万が一、彼女が何か過ちを犯してしまっていても、わたしはずっと味方でいよう。きっと何か理由があるはずだし、人間誰しも間違えることはある。

でも、生きている限り、何度だってやり直せるんだから、大丈夫。彼女がひとりになっても、わたしだけは、そばで信じていよう。





大丈夫、生きている限り。





意を決して、彼女の名前を検索ボックスに打ち込んだ。結果は一番上に出てくる。記事の中身をクリックするまでもなく、タイトルで何が起こったのかがわかった。




「4月◯日午後◯時」「ひき逃げ」「死亡」




それらの文字が目に飛び込んできた瞬間、鼓動がどくんどくんと大きな音で鳴り出した。

周りの音が聞こえなくなる。急に身体が冷たくなり、スマホを持つ左手が震え出す。

どうか、「ひき逃げ」をしたのが彼女のほうであってほしい。過ちを犯したとしても、生きていたら何度でもやり直せるのだから。不謹慎だけど、咄嗟にそんなことを思ってしまう。

どうか、命だけはまだ彼女の身体に留まっていますように。きっと、彼女はまだ生きている。あの子はそんな簡単に、いなくなったりしない。

彼女のことを何も知らないくせに、結論を出さないで。そう、記事を書いた人に心の中で訴える。

ここに書かれている名前は、同姓同名の別の人かもしれない。

わたしは彼女みたいに心の綺麗な人間じゃないから、そう願う。彼女が無事なら、それでいい。それ以外、何も望まない。





でも、それは紛れもなく彼女の名前で、現実に起きたできごとだった。





エイプリルフールは、もうとっくに過ぎていた。

どうか、嘘であってほしかった。彼女の人生が、昨日の夜、幕を閉じてしまったこと。今日、彼女はこの世界にもういないこと。わたしたちはもうこの先、一生会って話をすることができないのだということ。

そのどれもが信じられなかった。信じたくなかった。




どうして、誰よりも心が綺麗な彼女が。
どうして、あの日のあの時間に彼女が。
どうして、未来に希望が満ち溢れた彼女が。
どうして、ようやく夢を掴みかけていた彼女が。




きっと、事故や事件で大切な人を突然失った人なら一度は抱くような疑問で、頭の中がいっぱいになった。

正直、今までドラマや小説、あっても遠く見知らぬ人の話だと思っていたことが、いま自分の身に起きている。

いざ自分がこういう状況になると本当に、いつかニュースで見た、遺された彼らが口にしていた台詞そのまんまの感情を抱くものなんだな。

そんな呑気な感想が、現実の残酷さを受け入れられないわたしの頭を埋め尽くしていた。





あの時、彼女は夢に向かってひたむきに生きていた。

週に1日しかない休日は、毎週ワインの学校に通い、平日は、お店のディナー営業が終わると日付が変わる頃まで勉強していた。

最後にふたりで会った時、「ソムリエの試験に合格したの」と、学芸大学のビストロで嬉しそうに話してくれた。

「自分のお店を持つ」という夢に一歩ずつ近づいている彼女をそばで応援できることが嬉しかったし、「じゃあ、お店を開いた時は、わたしにPRを任せてね」と約束してから、わたしももっと仕事を頑張ろう、と前向きな気持ちで生きることができた。





その頃、彼女は既に結婚していて、穏やかな日々を過ごしていた。

人には言えないような恋ばかりしているわたしに、「そんな人、やめなよ」なんて聞き飽きた言葉を押し付けることなく、否定も肯定もせず、いつも静かに話を聞いてくれた。


「そういう刺激的な恋にはまる気持ち、わかるよ。私も最近まで、そうだったし。でも案外、今の穏やかな幸せも、いいものだなあって思うんだよね。たしかに前より刺激はないけど、旦那のことは誰よりも尊敬してるし、大切な人。」


そう言っていたずらっぽく笑う彼女がチャーミングで、今までの彼女の恋路を知っているからこそ、幸せになってくれて本当によかった、と思った。





そして、誰よりもわたしの恋と人生を応援してくれていた彼女は、わたしの歴代の恋人に、唯一会ったことのある友人でもあった。

いまの恋人と出会った2年前も、何かあると逐一報告をしていて、



「そんな素敵な人、本当に存在するの?!」
「ななみの恋の話、ドラマみたいで面白い!」



と、無邪気な感想を口にしながらも、そばでずっと応援してくれていた。

彼と人生をともにすることを決めてからは、「いつか結婚式を開くとしたら、ウェディングケーキは彼女にお願いしよう」と、密かに思い描いていた。

だけどもう、それは叶わない。




***


不幸な恋ばかりしていたわたしにも、ようやく自分を大切にしてくれる人、大切にしたいと思う人ができたよ。

あの時話していた人と、これから先も、一緒に生きていこうと思ってるよ。

結婚式にも、来てほしかったな。今度こそ、「この人がわたしのパートナーです」って、ちゃんと彼を紹介したかった。わたしがちゃんと幸せになれたことを、あなたに見てほしかった。




まさか京都に移住することになるなんて、思わなかったよ。報告したら、なんて言ったのかな。

きっと驚いて、「おめでとう!!」とわたしの手をとって喜ぶんだろうな。そして翌日、大きな花束がサプライズで届くんだ。




いつか一緒に仕事、したかったなあ。わたしも少しずつ自分が好きな仕事ができるようになってきて、力もついてきたよ。

あなたが開くお店は間違いなく日本一だから、その魅力を、わたしの言葉で広めたかった。

おいしい料理をつくる、そのことがこんなにも難しいことだったなんて、知らなかったよ。自炊をするようになって、はじめて気づいた。

日本でいちばん美味しいと思った、あなたが作ってくれたティラミス。彼の大好物なんだよ。いつか作ってほしかったなあ。





思い返すと、彼女には与えてもらってばかりだった。

わたしは彼女に、何かできたのだろうか。もっと早く成長して、彼女の夢のために、できることがあったかもしれないのに。

一緒にやりたいこと、やりたかったことを考えはじめたら、キリがない。だけどもう、叶わないのだ。




頭の中で、さまざまなことが実現した光景を想像してみるけれど、どれもが26歳の彼女の姿で止まっている。

この先どんな風に歳をとっていくのか、どんなおばあちゃんになるはずだったのか、それを知ることは、誰にもできない。

その事実を突きつけられるたび、果てしない悲しみの中、ひとり置き去りにされそうになる。





彼女の人生は、あの日、突然幕を閉じてしまった。だけど、わたしの人生はまだまだ続く。今のところは。

わたしだけじゃない。彼女以外の、生きている人たちの人生は、これからも続いていく。本当は奇跡なのかもしれないけれど、当たり前のように。

「彼女のぶんも、自分が幸せにならなきゃ」なんて言ったら、おこがましいかもしれない。

だけどわたしはあの日からずっと、そんな想いで生きている。

幸せになるために努力ができるのは、生きている人間の特権だから。




わたしが彼女のために、できること。

そんなものは、もうないのかもしれない。



ただ、生きるしかない。
生きて、書き続けるしか、ないのだと思う。






あれから、話したいこと、報告したいことがたくさんあるよ。

わたしのnote、まだ見てくれているかな。

これからも、わたしの人生を、心に生まれた感情を、消えないうちに言葉にしていくね。余すことなく、書き残していくね。

そして、いつかまた会えた時は、たくさん話をしよう。今までの感想、全部ちゃんと聞かせてね。


それまでは、書き続けるから。





どうか、見守っていてね。






岡崎菜波 / Nanami Okazaki
Instagram: @nanami_okazaki_


いただいたサポートは、もっと色々な感情に出会うための、本や旅に使わせていただきます *