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平成くん、さようなら


令和になってしまったけれど、ようやく、

古市憲寿さんの「平成くん、さようなら」

を読んだ。

こんなにも身を削りながら読んだ小説は、

ここ数年で久々だった。

読み終わった後、しばらく呆然としていた。

心だけがどこかに行ってしまって、

なかなか帰ってこなかった。

局所的な鋭い痛み、というよりは、

甘い毒の染み込んだ重苦しい空気が少しずつ、

肺の中にゆっくりと広がっていくような感じ。

けれどその重苦しさも、しばらくすると

むしろ清々しいくらいにすっと引いて、

なにも残らないのが不思議な感覚だった。


作品全体の空気は、それでも、

とても軽く明るく流れていた。

ふたりの日常が軽やかにテンポよく進み、

やり取りの端々にくすりと笑ってしまうような

平成くんの屁理屈や、愛ちゃんの気まぐれが

散りばめられていて、頭の隅には

不安や絶望感がちらついているにもかかわらず、

ふたりの世界は煌めいていて、心がはずんだ。


恋愛観も死生観も全く違うふたりは

決して心から共感し合うことはないし、

交わることすらないのだけど、

それでもなぜか否定的な意味で悲しい、

という空気を感じなかったのは、

たぶんお互いが誠実に相手に向き合って、

きちんと言葉で想いを伝えようとしているから

なんだろうなと思った。

ふたりとも、自分の価値観を強く持っていて、

芯も強くて、そのまままっすぐぶつかって

いくのだけど、ぶつかられても痛くない、

というか、むしろ心地いいような感じ。

背伸びしたら手を伸ばせそうなくらいのふたり

というのも身近でよかったし、

街や人の名前が何度も細かく描写されていたのも

現実味があって、今この時代に生きている自分の

世界と同じなんだなと感じられたから、より

それぞれの描写が鮮明に、心に焼き付けられた。


平成くんの考えが変わらないことは最初から

わかっていて、自分にはそれを変えることなんて

できないとわかりつつも、少しでも長く生きて

欲しい、一緒にこの先の未来を作っていきたい、

というわずかな希望を糧に何度も説得しようと

する、愛ちゃんのまっすぐなところも

すごく、すごくよかった。

胸に迫ってくる、強い愛を感じた。

きっと変わらないんだろうなと半ば諦めて、

頭の隅に常に終わりがちらついて、

苦しくなることもたくさんあっただろうけど、

でも終わりが見えているからこそ、

お互いが目の前の相手を、この一瞬一瞬の

やり取り、景色、抱いた感覚を忘れまいと、

全身で感じ取ろうとしている姿は、

強くて儚くて切なくて、

どんな現実よりも美しいと思った。


一番好きなシーンは、愛ちゃんが熱海の浜辺で

平成くんに怒鳴りつける場面。

愛ちゃんの切実な願いや平成くんへの優しさ、

そして何より彼への愛がまっすぐに

突きつけられて、心が揺さぶられた。

こんなにまっすぐ、美しく、力強く

誰かにぶつかることができるのか、と思った。

唯一無二の存在でありたい平成くんも、結局は

他のどんな人とも変わらず、死が怖いのだなと

わかったラストも、生の儚さや現実の残酷さに

胸が締め付けられたけど、そういう現実的な

ところに理由があったとわかるのもよかった。

誰だって死が怖いし、自分がここから

衰えていく、終わりに近づいていくのが怖い。

でもそんな終わりのある時間だからこそ、

人は愛に出会うのかもしれない。

そして、あたためられ、希望を見出し、

時には絶望し、そしてまた、

愛を求めるのだろう。


身を削りながらも、何度も、何度でも、

このふたりのたわいもないやり取りを、

ふたりの絶望と幸福に満ちた世界を、

この先も永遠に眺めていたい。

そう、強く願って、わたしは本を閉じた。


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noteになる前の、小さなつぶやき。



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